櫻井よしこ
日本國家基本問題研究所理事長
本日はお招きいただきありがとうございます。主催者の羅福全理事長はじめ、台湾安全保障協会の皆さまに心より感謝申し上げます。台湾をわが国日本の重要なパートナーと考える私にとって、今日、このような基調講演をする機会をいただいたことを、大変光栄に思います。
私は東京でシンクタンク「国家基本問題研究所」(国基研)を主宰しています。創設から間もない2008年2月に、私たち一行は台北を訪問しました。李登輝総統閣下をはじめ皆さまにお目にかかり、日台双方の未来を念頭に有意義な意見交換をいたしました。国基研が最初の訪問先に台湾を選んだ理由は、日本にとって台湾がどれ程重要かという国家戦略上の判断に加え、日本と台湾の交流が、恐らく世界で最もあたたかい心の通い合いの上に築かれているからであります。
私は2011年3月18日にも「世界台湾人大会」にお招きいただき、この地を訪れました。3月11日には1,000年に一度といわれるマグニチュード9の大地震と津波、続いて原発事故が東日本を襲いました。大混乱の中、私は震災発生から一週間後に、当初の予定を短縮して台北を訪れました。そのときに目にしたのは、街角や店舗で、或いはテレビで、多くの台湾の方々が日本への救援を呼びかける姿でした。日本人としてどれ程有難く思ったことでしょう。どれ程勇気づけられたことでしょう。
2300万人の台湾の皆さまの心のこもった援助を、今でも日本人は忘れていません。当時を思いますと、台湾の方々への深い感謝の想いで一杯になります。改めて一人の日本人として心よりお礼を申し上げます。
現在、日本も台湾も、歴史の大変化に直面しています。対外関係において軍事介入を回避し内向きになりがちな米国と、力を背景に膨張し続ける中国、2大国の変化は日本と台湾双方に測りしれない大きな影響を与えています。それだけに国基研は、台頭した中国の経済的、軍事的膨張と共に、米国が中国にどのように向き合うのかを、とりわけ注目してきました。
国基研は、戦後の日本が安全保障を米国に依存し自らの軍事力を憲法上、法律上、そして物理的に厳しく制限してきたことに疑問を持っています。私たちのシンクタンクは、日本を普通の民主主義の国として立て直すこと、そのために憲法改正を実現することを大きな目標として出発しました。その問題意識は必然的に、米国との関係をどのように調整するのか、そのうえで中国とどのような関係を結ぶのかという課題につながります。
とりわけ、わが国とは基本的に異なる価値観を掲げる中国の意図は注意深く精査しなければなりません。その意味で国基研が最初のプロジェクトとして中国研究を取り上げたのは自然なことでした。ちなみに国基研の研究は「対中国戦略研究報告書」としてまとめられ、2012年2月に出版されました。
同研究を通して改めて実感したのは、中国は戦術において柔軟である一方、長期戦略においてはぶれることがなく、設定した戦略目標は長い時間をかけても達成するということです。1949年の建国から100年目の2049年までに中華人民共和国が達成しようとしているのは、米国を凌駕する覇権国としての地位の確立であるという研究が、注目を集め始めました。民主主義国では、時の政権と民意によって国家の長期目標でさえ変更されることが珍しくありません。100年に及ぶ長期戦略などは中々考えられません。しかし、中国共産党一党支配体制の下では事情は全く異なることを、民主主義国は肝に銘じなければならないと思います。
中国共産党の考え方を示すひとつのエピソードがあります。1995年8月、中国が核実験を行い、日本政府は抗議しました。日本外務省に呼ばれた駐日大使、徐敦信氏はこう反論したのです。
「中国は列強の侵略を受けたが、その中で、一番大きな被害を与えたのは日本だ。中国人民は苦しい歴史の中から、自分の国が弱ければいじめられるとの教訓を得た」
毛沢東が中華人民共和国政府を樹立して以来、大飢餓を引き起こした大躍進の時代であろうと、文化大革命の時代であろうと、中国共産党が一貫して仮借のない軍事増強をはかってきたのは、「富国強兵」そのものが目的であるということです。軍事力が強まればその強さは外交力に反映され、強力な外交力は国を富ませるという思考回路を知りつくした国が中国です。対照的に、軽武装で経済大国であり続けようとすること以外に国家目標のない国が、つい先頃までの戦後の日本です。
中国は南シナ海で7つの島を埋め立てました。2015年5月、米国防総省が映像を公開し、世界に衝撃を与えました。国際社会の反発に直面した中国は6月30日、南シナ海の埋め立ては終わったと発表し、埋め立て工事もやめたはずでした。
しかし、米国の戦略国際問題研究所(CSIS)が運営するサイト「アジア海洋透明性イニシアチブ」は、9月8日、中国が依然として複数の岩礁で埋め立て活動を続けているとして、映像を公表しました。
米国側の発表に対して中国外務省副報道局長、洪磊氏は事実を認め「南沙の主権は中国にある。合法で筋道が通った完全に正当な措置だ」と反論しました。
南シナ海で埋め立てを加速した時期と重なるようにして、中国はわが国眼前の海、東シナ海においても日中中間線近くで強引なガス田開発を行ってきました。日中両国は2008年、共同開発を目指すと合意しているにも拘らず、2014年以降、中国側はガス掘削のためと称してプラットホームの建築を急ぎ、2015年8月末時点で新たな12基のプラットホームを建設済みです。
それ以前に中国が建設したものと合わせて16基のプラットホームが建てられおり、いずれも軍事転用が可能です。ここにレーダーを設置すれば、中国大陸を起点とする限り不可能だった日本の沖縄、南西諸島、そこに展開する日米両軍の情報収集が可能になります。プラットホームは容易にドローン基地に転用可能で、日本を脅かす事態が考えられます。水中ソナーを据えつければ日米の潜水艦の動きも把握されかねません。
日本政府は抗議を繰り返していますが、中国は、南シナ海の埋め立て同様、東シナ海における開発をやめる気配はありません。米国が抗議しても、日本が抗議しても、東南アジア諸国が抗議しても、中国は目的完遂に向かって突き進みます。後にまた触れますが、中国のこのような独善的かつ侵略的な行動は、世界の警察をやめたオバマ大統領の消極性が引き起こしたものだと言えます。中国の脅威の前で、話し合いの扉を開けておく一方で、どの国も万が一に備えて軍事力の整備にとりかかったのは当然です。
先程私は、日本は軽武装の経済大国に満足して、それ以外の国家目標を持ってこなかったと断じました。このような考え方はしかし、中国が眼前でくり広げる蛮行によって多少変化してきました。自民党安倍政権の下で、日本はようやく、少し変わろうとしています。それが平和安全法制の整備です。
2014年7月1日、安倍晋三首相は集団的自衛権の一部行使を容認する閣議決定をしました。世界の全ての国々が国連によって認められている集団的自衛権を、日本はこれまで自ら封印してきましたが、初めて、制限つきながら、その一部を行使することを閣議で決定したのです。政府の決定は国会で承認されましたが、平和安全法制の制定に対して、日本国内ではこれは日本を戦争に追いやる法律だという反対の声が上がりました。そのようなおどろおどろしい批判はありますが、日本が行使する集団的自衛権は限られた範囲内にとどまり、生まれる変化は僅かだと考えます。
ただ、重要なことは現象的には小さな変化であっても、本質的には大きな変化を生み出すと思われるのが、今回の法制です。これまで基本的に米軍に守って貰うという発想で生きてきた戦後の日本人が、初めて、日本が果たすべき責任を自ら果たそうと積極的に行動し始めることにつながると考えるからです。
それにしても日本国の安全保障体制は非常に制限されています。大東亜戦争での敗北をきっかけにして軍事力を悉く排除する気運が生まれ、軍事行動は憲法9条と自衛隊法によって厳しく制限されています。日本人は大東亜戦争を反省する余り、異常な程、軍事に関するおよそあらゆるものを退けてきました。人々は軍事力を嫌う余り、長年、自衛隊を冷遇しました。普通の国の大学では安全保障研究は極く自然に行われていますが、日本のどの大学にも戦争、戦史、戦略を研究する学部はありません。最高学府といわれる東京大学は、つい最近まで一切の軍事研究を禁止してきました。安全保障についてまともに考え、研究し、対処する知的土台が戦後の日本から消えてしまったと言ってよいでしょう。
そのような状況で、日本の安全保障体制が万全であり得るはずがありません。普通の国は、平時、準平時、有事というふうに、国民の命と国土、領海を守るためにあらゆる準備をします。それが政府の責任です。しかし、国防を観念的にしかとらえられなくなった日本においては、平時と有事の間に存在する幅広く多様な危機に対処する準備は整っておらず、日本の安全保障体制には幾つもの穴があります。それを埋めるのが、安倍政権が実現させた平和安全法制の意義です。
平和安全法制の成立で何が出来るようになるかを語るよりも、それ以前の法制の下で何ができなかったかを語る方が日本国の安全保障体制の実情を理解するのに役立つはずです。日本国の国防体制の足らざるところの第1は、自衛隊が、通常の国の軍隊が軍法に従って行動するのとは対照的に、警察法によって行動しなければならないという点です。通常の軍のネガティブリストによってROEを実践するのではなく、ポジティブリストによって行動しなければなりません。自衛隊の全ての行動は専守防衛の精神に基づいており、如何なる攻撃的な行動も厳しく制限されています。
まず、平時と有事の間、いわゆるグレーゾーンといわれる状況で、新しい法制が出来る前の日本はどのように対処していたのか、実例を紹介します。自衛隊は組織的、計画的攻撃に対してでなければ軍事的に対応することを許されていません。万が一攻撃された場合は、政府が閣議を招集して自衛隊に軍事行動を許す「防衛出動」を命じます。このようなやり方では有事発生の時には到底、間に合わないことは、およそ皆が知っています。多数の中国漁船が尖閣諸島に押し寄せた場合を想定します。もし、漁船員らが武装しておらず、粛々と上陸すれば、自衛隊は手を出せません。海上保安庁が取り締まりますが、海保が中国人の上陸を防げず苦戦するのを眼前にしても、自衛隊は動けません。
自衛隊が対処できるのは、相手が明らかに事前に組織し、計画し、武装して攻めてくるときです。漁船が「たまたま」大挙して押し寄せる事案は、この条件を満たさないとされています。これでは日本防衛は不可能です。そこで今回の平和安全法制は海保に代わって自衛隊の展開を可能にする海上警備行動を迅速に発令できるようにしました。これまで閣僚が官邸に集まって閣議を開き決定していたのを、電話で閣議を行えるようにしたのです。しかし、この程度の改正では不十分なのは当然です。
実際に発生した事例、1997年2月3日の鹿児島県下甑島事件を紹介します。
島に中国人密航者20人が上陸し、住民が警察に通報、青年団や消防団も捜索しましたが、中国人は逃走しました。一夜明けた4日、同島の分屯基地所属の航空自衛隊員30名が捜索に参加しましたが、彼らは一切の武器携行を認められませんでした。自衛隊員は密入国者の捜索というミッションではなく、野外訓練の名目で捜索活動に参加しました。
自衛隊が治安のために出動するには自衛隊法81条に基づく内閣総理大臣の命令または知事の要請が必要です。出動は「治安維持上重大な事態」、「やむを得ない」場合に限定されています。その認定基準を満たすには時間がかかります。そこで自衛隊は苦肉の策で野外訓練という理屈をつけざるを得ませんでした。
密航者が工作員だったり武装していた場合、捜索及び拘束の任務は警察や消防団には危険すぎます。自衛隊員は無事に任務を遂行、全員を拘束しましたが、訓練されているとはいえ、彼らは丸腰で派遣されたのです。彼らの安全をどう守るのか、非武装で行かされて無事にすむのかという疑問が残りました。一方でメディアは法的根拠を欠くとして政府及び自衛隊を批判しました。
1999年3月24日、能登半島沖東方の日本の領海に出現した二隻の北朝鮮の工作船の事例も深刻でした。海上保安庁が追跡しましたが、2隻は高速度で逃走しました。政府は戦後初めて自衛隊法82条によって海上警備行動を発令し、自衛隊の護衛艦と哨戒機P3Cが追跡しました。しかし、海上警備行動が発令されても自衛隊は攻撃されない限り反撃を許されません。その結果2隻とも北朝鮮の清津に逃げおおせたのです。
多くの日本人は船で拉致されています。船の中に日本人が拘束されていた可能性もありますが、現行法では彼らの侵略を止めることもできません。
中国の潜水艦もわが国の領海に侵入し続けています。2004年11月10日、中国の漢級原子力潜水艦が沖縄県石垣島と多良間島の間の日本の領海を侵犯しました。小泉純一郎首相は戦後二度目の海上警備行動を発令しました。自衛隊は空と海から追跡し、ソナーを海中に投げ込み浮上するよう警告し続けたのですが、このときも潜水艦はひたすら逃げました。自衛隊は追跡しましたが、彼らは一度も浮上することなく山東省青島の港まで逃げ切りました。
これらは他国なら明確に武力を行使して捕える、または撃沈するケースです。わが国は攻撃せず、追いかけるだけです。日本の憲法や自衛隊法を研究し尽している国々は、中国、北朝鮮を含めて、自衛隊が手足を縛られ武力行使できないと知っているからこそ侵略を繰り返します。追い詰められても、彼らは、自衛隊に攻撃されずに自分たちが先に攻撃できることを知っています。
国民を守るにせよ、海を守るにせよ、自衛隊員がまず自分の身を危険にさらさなければ使命は果たせないというのが、日本の安全保障の原則であってはなりません。膨張する中国の脅威の前で、自衛隊員にまず自らの身を危険にさらすことを強要するような現行法制は異常でした。
中国の軍事的脅威に対するには、日本一国の力では不十分で日米安保条約を機能させなければなりませんが、自衛隊の特殊事情がずっとそれを妨げていました。1994年3月、防衛庁で朝鮮半島有事に関する日米政軍セミナーが開かれ、米軍側は統合参謀本部、太平洋軍事司令部、在日米軍司令部、日本側は内局と統合幕僚会議が参加しました。
主題は、金正日総書記が『ソウルを火の海にする』と挑発し、IAEA(国際原子力機関)からも脱退するなど、緊迫する朝鮮半島情勢への対処でした。米軍は自衛隊に後方支援を要請し、詳細な時系列展開計画を提出しました。彼らが明かした計画は詳細を極めており、どの部隊がどの基地から、いつ発進して、どの港、もしくは空港にいつ到着するか、どんな手段で日本或いは朝鮮半島に到着するかも明記されていました。日本の後方支援があれば、この部隊の代わりに戦闘部隊を投入できる。事態はその分早く解決すると、米国側は非常に熱心に説明しましたが、わが国には、後方支援を想定した法律もなく断らざるを得なかったのです。
元統合幕僚会議議長の西元徹也氏は、米側が「これは日本の防衛そのものだ。何故できないのか」と激しく詰めよったことを昨日のことのように覚えており、こんなことでは、日米同盟はもたないと実感したといいます。
自衛隊に課せられてきた非現実的な規制は、日本の国際貢献にも影を落としてきました。一例が平和維持活動(PKO)に参加する際、自衛隊の武器使用が厳しく制限され、結果として海外では外国軍に守ってもらわなければならないことです。自衛隊はカンボジアPKOではフランス軍に、イラクでは当初イギリス軍に、その後はオランダ軍に、そして再びイギリス軍に守ってもらいました。そのようなとき、自衛隊を警護する外国の部隊が攻撃されても、自衛隊が彼らを守るために共に戦うことは許されていません。このような卑怯な振る舞いを強いられる法制に、自衛隊員のみならず、心ある日本人は耐えられない思いです。
海外で自衛隊を縛っている、自身以外の他者は守れないという馬鹿気た規則は、他国の軍隊のみならず、文民にも適用されます。現在、南スーダンで約350人の自衛隊員が、宿営地に隣接する国連事務所と緊密な連絡を取り合いながらPKO活動に励んでいます。活動中に攻撃されても自衛隊は自らを防護できます。しかし隣接する国連事務所には自衛能力はありません。彼らが襲撃された場合、隣接地の日本の自衛隊が国連職員やNGO職員を守ることは、当然、期待されているはずです。しかし、国連から正式に救援要請があったとしても、自衛隊は彼らを守ることはできないのです。その中に日本国民が混じっていても救えませんでした。
難民救援は国際社会の重大な責務ですが、自衛隊はそれも出来ませんでした。難民だけでなく、日本の大使館員や邦人が襲われても助けられませんでした。
自衛隊が難民を見殺しにし、危機にある同邦に背を向けることなど、日本人は誰ひとり、是としません。しかし、法は自衛隊にそのような卑怯な振る舞いを強要してきたのです。平和安全法制が出来る前、自衛隊はその不名誉にどう対処してきたのか。
元防衛大臣の小野寺五典氏が平成14年の実例を語りました。東チモールで、現地邦人から救援要請があったとき、自衛隊員は自己責任と視察名目で現場に赴きました。武装集団が攻撃をしかけてくるなど最悪の事態が発生する場合、まず自分たちが攻撃されることを覚悟して現場に行きました。自衛隊は攻撃をされるまでは反撃も許されていませんから、この作戦の基本は自衛隊員の命を犠牲にすることを前提としていたといえます。
自らの犠牲をかえりみないことは尊い武士道精神でもあります。しかし国の法制がそのような自衛隊員の犠牲を前提にすることは、国家の不道徳であり、あってはならないことです。
今回の新しい安保法制は、こうした点を改正しました。共に行動している部隊が攻撃された場合、自衛隊も彼らを守るべく戦えるようにしました。国連事務所で働く文民や難民も助けられるようにしました。国際社会で共に働く国々にとっては当然のことを、日本も、制限つきながら、ようやく出来るようにしたのです。
次に集団的自衛権の問題です。日本を除くほぼ全ての国が行使する集団的自衛権は、友好国が共同で防衛する権利です。尖閣諸島などを窺う中国、核攻撃の構えを見せる北朝鮮などに対し、制限的ではあっても、日本が米国などと共に集団的自衛権を行使することは、侵略を思いとどまらせる大きな効果を生みます。集団的自衛権の一部行使は、戦争をするためではなく、戦争が起こらないように抑止するためですが、一部の野党をはじめ日本国内の反対勢力はこれを戦争法案だと呼び、徴兵制につながるというレッテル貼りをやめません。残念ながらそれを信じる国民も少なくなく、強い反対論が現在も根強く存在します。
それでも、安倍政権は新しい安保法制をようやく成立させました。これによって出来るようになることは、すでに触れたように、現象的には僅かかもしれません。しかし、重要なことは日本の自衛隊と米軍との協力関係が相当スムーズになることです。これまで出来なかった共同訓練も可能になり、日米の連携はより効果的になります。同盟をより強固にし、連携の強さをもって、台湾をはじめとするアジア諸国により大きく貢献できるようになります。
安倍首相の平和安全法制を、中国と朝鮮半島を除くアジア諸国をはじめ、世界の50か国が歓迎しています。日本が新しい平和安全法制をしっかりと受けとめ、日本の役割を果たしていくことが、米中両国が大きな変化を見せるいまとりわけ重要だと考えます。
冒頭で触れたように、中国は国際法も他国の権利も無視して膨張を続けています。尖閣諸島問題や南シナ海の領有権問題で、日本、台湾、東南アジア諸国に自らの主張を押し付ける乱暴な中国の言動が目立ちます。
彼らはチベット、ウイグル、台湾、南シナ海、尖閣諸島を核心的利益と呼び、米国に「新型大国関係」を受け入れさせようとしています。新型大国関係の柱のひとつが「核心的利益の相互尊重」です。もうひとつの柱が、ハワイを基点として太平洋を二分することです。
米中間の話し合いによって世界の秩序を取り仕切ろうという、G2論まがいの不遜な提案ですが、オバマ大統領は中国側が繰り返し提案する新型大国関係を一度も明確に拒絶したことがありません。今年に入って、中国の引き起こす摩擦は一層目立ってきたにもかかわらず、米国はいまも、新型大国関係を明確に退けてはいません。
世界、とりわけアジア・太平洋地域は、米国が世界の警察官の役割を引き受けて維持し続けたパクス・アメリカーナ(米国による平和)から、パクス・シニカ(中国による平和)に転換するかどうかの瀬戸際に立っています。私たちは重大な岐路に立たされています。どの方向にアジア・太平洋が進むのかを決定する最重要の要因が、南シナ海ではないでしょうか。
南シナ海問題は行き着くところが、政治体制の相違、価値観の違いになってきます。国際法、民主主義、自由、法治、人権、市場原理などの普遍的価値を中国が受け容れるかどうかが鍵ですが、「主権を守る中国の意思は岩のように固い」という王毅外相の言葉に見られるように、中国が譲る気配はありません。
さらに重要なのは、習主席がアジア太平洋地域で米国を排除した多国間の安全保障体制の構想を明らかにしている点です。2014年5月に上海で開いた「アジア相互協力信頼醸成措置会議」(CICA)の首脳会議で、「第三国を対象にした軍事同盟を強化し固定させることは、共通の安全の維持に貢献しない」と習主席は述べ、第二次世界大戦後に、米国を中心として保ってきたアジア太平洋の秩序と、同盟関係に真っ向から挑戦する姿勢を示しました。
習主席は「アジアの問題解決とアジアの安全維持は、アジア人が担うべきだ」とも表明し、アジアの安全保障における米国の役割を拒否しました。中国はCICAを基礎に「地域安保協力の枠組みづくりを探る」として、中国を中心とする地域安保体制の構築を開始し、すでにアジア26カ国が加盟しています。
幾つもの組織をつくり、力を誇示し、米国に新型大国関係を迫る中国に対するオバマ大統領の姿勢に一抹の不安を抱かざるを得ません。戦後の米外交全体の流れの中でオバマ政権の言動は特異といってよいでしょう。オバマ大統領はイラクからの米軍撤退を完了し、アフガニスタンからの撤兵も2016年末までに終えると公表しています。その間にアジアで強大化し、軍事力を背景に国際秩序を無視して、東シナ海、南シナ海、インド洋に勢力を拡大し始めた中国に、過剰なほどの配慮を見せています。
13年9月10日、オバマ大統領は全米の国民に向けて「米国は世界の警察官ではない。この地球上には恐ろしいことが発生するが、あらゆる悪を正そうとするのはわれわれの能力を超えている」「私は平和的解決に執着する。過去二年強にわたって米政府は外交と制裁、警告と交渉に努めてきた」と語りました。当時、すでに内戦に陥っていたシリア問題への軍事介入はしないという演説での発言でした。
世界は米国の「内向き」の政策に驚きましたが、ロシアや中国など幾つかの国はそれを大きなチャンスだと受けとめたはずです。オバマ大統領演説の半年後にロシアはウクライナからクリミア半島を奪いました。中国は南シナ海、東シナ海で、埋め立てや建設を急加速しました。オバマ大統領の躊躇が国際政治のパワーバランスを大きく変えたと言えるでしょう。
安倍自民党政権はいま、積極的平和主義を掲げて、年来の日本の島国的発想を超え、集団的自衛権の行使にも踏み込みました。2006年9月に発足した第1期安倍政権は1年という短命でしたが、東アジアから中央アジアを経て東欧まで帯状にぐるりと延びる外交戦略、「自由と繁栄の弧」を打ち上げ、価値観外交を推進しました。習近平主席が2013年秋に打ち出したシルクロード経済ベルトと海洋シルクロードで構成する「一帯一路」構想は、安倍政権の「自由と繁栄の弧」をひっくり返そうとする亜流ではないでしょうか。
日本はこの広大な地理的空間で自由と民主主義、市場経済と法の支配、人権を尊重する国々を支援し、同じ価値観を持つ国を友邦して支え協力してきました。この価値観は2012年12月に発足した第2次政権の変わらぬ基調でもあります。
就任以来、実に延べ71か国を訪問した安倍首相は「地球儀を俯瞰する外交」で、日米同盟を最重要の基軸とし、日米印、日米豪、日米韓など、2国間3国間の協力体制を築き、軍事演習も行ってきました。経済力と共に軍事力が国家の基盤であるという国際社会の常識を、日本国も実践すべく、ようやく、小さな一歩を踏み出したのです。
日米を中心として、東南アジア、豪州、インド、中央アジアまでを包み込む協力体制は、まさに共通の価値観を守るためのものです。目的は如何なる国にも民族にも、独立した存在として、信教、言論の自由を認め、民主的な政体を奨励することです。
しかし、中国はこれを対中国包囲網だと感じているようです。だからこそ、彼らは、米韓同盟を弱体化するために韓国の取り込みを熱心に行いました。日米同盟に楔を打ち込むために歴史問題で日本を「軍国主義」「ファシスト国家」「歴史を反省しない国」と貶め、かつて米国と共に「ファシスト国家」の日本と戦ったのは中国だと主張し続けています。
日本はこのような不当な貶めに対し、礼節をもって日本の価値観を示し、対話の窓を開けてきました。安倍首相は地球儀外交の方針で広く世界を訪れ、これまでにない程、世界における日本の地位と信頼を高めてきました。
地球儀を俯瞰する外交の中で、台湾は実に重要な位置を占めています。中国の視界の中では地域として最も脆弱に見えるのが南シナ海でしょう。沖縄の嘉手納基地からもオーストラリアのダーウィン基地からも最も遠い所にありますが、日米共に南シナ海の平和と秩序を守る努力を惜しんではならないのは明らかです。その海は日本だけでなく、米国、さらに東南アジア諸国の生命線です。南シナ海の北東の出入り口に位置する台湾もまた、この上なく重要な位置にあります。
とりわけ日本にとって台湾は、地政学上の戦略的重要性を超える特別の意味を有しています。歴史を通して紡いだ強い絆と親和性は他国との関係では見られないものです。だからこそ、台湾の現状維持を支えるために、日本独自の台湾関係法を定めるべきだという意見が自民党の中で生まれています。わが国の選良たちは、議員立法による同法の制定を目指しています。同法は日台をこれまで以上に固く結びつける非常に重要な意味を持つもので、私は高く評価しています。
最後に安倍首相の戦後70年談話について、一言申し上げたく思います。安倍首相は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」と語りました。
首相は韓国よりも中国よりも先に、台湾の名を上げました。閣議決定された談話で、日本国の公式文書で、アジア諸国の中に台湾を並べ、しかも中国の国名の前に置きました。
私のような一人の国民レベルから、国家レベルまで、日本が、如何に台湾を大切な存在と考えているかを示していると思います。これからも日台双方が強固な絆を構築し、守り続ける努力を重ね、共に確かな未来を担保すべく、協力していくことを願っています。
台湾の皆様方の深い友情に感謝し、今日のお招きにお礼を申し上げ、私の話を終えます。国基研理事長として、国基研を代表してお礼を申し上げます。ご静聴ありがとうございました。