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『台湾論』その5 序文 黎明期・近代台湾の史料をめぐって |
2005-08-30 16:15:33 |
陳唐山 |
拓殖大学創立100年記念出版
台湾論 その5/月刊・台湾協会・会報(一八九八〜一九○七年)から
序文:陳唐山
黎明期・近代台湾の史料をめぐって
台湾外交部長
陳唐山
十九世紀に至るまで、台湾はずっと「瘴癘の島」「荒蕪の地」「化外の地」として言われてきたものの、日本領台後、半世紀にして大きな変貌を遂げたことは、実に人類史上稀有なことである。そして、面積に比しては世界でも有数の経済大国と評することも許される現代の台湾を構築した背景には、多くの先達による労苦がある。
対岸にある中国大陸との関係から、歴史としての台湾の輪郭は、ともするとあいまいになってしまう側面がある。それは台湾人の認同(一体性・アイデンティティ)にも、エスニシティ問題にも根深く影響を与えている。それを憂慮された前総統の李登輝博士は、在任中に「新台湾人」というこれまでにない国民意識を提示したのであろう。
中国史に編重し、台湾史を無視していた従来の国史授業から、中等学校一年生の社会科における教科書『認識台湾』(歴史、社会、地理)を発刊した試みも、自己の生を享けた郷土を知ることによって、自然な無理のない認同が築けると信じたからだと思われる。
現代の台湾という存在は、近代史の軌跡の「正しい歴史認識」を抜きにしては有り得ない。その近代は、冒頭に触れた「化外の地と民」を領有した日本によって実現された。民政長官であった後藤新平もその一人である。当時の総督府関係者の取り組みがどういうものであったかについては、本資料集二巻の序文に李登輝博士が「近代台湾は脱亜即興亜の実験地」と題して指摘されているところである。
第二次世界大戦に敗北した日本が撤収した後は、新来の中国国民党政権が引き継いだ。「光復」を旗印に勝利国の政権として中華文明への復帰を執拗に台湾で展開した。その実は、東アジアにおける東西対立の余波を全面的に受けて、史上では前代未聞の長期にわたる戒厳令の施行等、ソ連が崩壊するまで防共最前線国家の国民として、台湾人は多くの労苦を引き受けなくてはならなかった。
九十年代以降、台湾は政治的に急激な変貌を遂げた。一党独裁から法制上も実質上でも複数政党による政権交代を可能とする議会民主政体に移行した。それは一九九六年の総統選挙で定着したと見てよい。そうした政体は、言論の自由と不可分な関係にある。そして、対岸の政体と根本的に違うところである。
市場経済、民主政体という現代台湾をもたらした前史とも言える近代台湾はどういう経緯を経て今日に至ったのか。ことに黎明期の台湾社会は、如何いう内容のものであったのか。それを知るにはまず史料を明らかにすることが求められる。現代の一台湾人として、五巻にわたる本資料集が、「正しい歴史認識」を探索する一つのきっかけになることを望んでいる。 |
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