| 東アジアの安全保障情勢と日米同盟 | ||||||||||||||
| 鈴木正孝/元参議院議員・元防衛政務次官 2005年12月16日 | ||||||||||||||
本日、社団法人 台湾安保協会の黄昭堂理事長の招請により、東京からやって参りました。大変光栄に存知、又、日本での長い間、安全保障、防衛、軍事問題に関し、政策立案や実施、国会議員としての経験等を踏まえ日本と台湾との間の友好発展、ひいては東アジアの今日的な諸課題の解決への理解を深める為に、少しでも役立つことができれば、私の望外の喜びでもあります。そんな気持ちを込めて、お話をさせて頂きます。 日本政府や国会には、現在の日本の安全保障政策等について立案遂行に当たっている多くの親しい友人がおりますが、当然のことながら日ごろから想い描いている私見であることを申し添えます。演題は「東アジアの安全保障情勢と日米同盟」と致しました。アメリカの国防政策が、この数年大規模な見直しの下にあり、その検討成果が欧州はじめ東アジア地域でも見られつつあります。情勢全般を概観しながら日米同盟の実効性を担保しつつ、日米間で得られつつある最近の諸成果など米軍と日本政府、自衛隊の状況を後段で触れたいと思います。 太平洋戦争終了後、日本は戦争の過程でアジアをはじめ周辺の諸国民に対し、多大の人的物的な被害を与えたことを深く反省し、再びこの様な国家的行動にでることのないことを国際社会に誓い、現行の「戦争の放棄」という条項を含む憲法を制定しました。1950年6月に勃発した朝鮮戦争により日本の安全と平和を現実的に確保する措置として現在の自衛隊を創設し、全般的なかつ大規模な攻撃力や核抑止力は同盟国である米国に依存することを前提にいわば、「日米安全保障条約」と「自衛隊」との両論で機能させることで日本の平和と独立を確保することとしました。 日本の長年にわたる防衛力整備、組織態勢等の体制整備の基本的方針は、東西の厳しい冷戦下ではありましたが、極めて抑制的、自制的な「専守防衛」という他国では見られない防衛構想に基きつつ、同盟国である米国との協力においての戦略的な判断で今日まで対処してまいりました。 この間、朝鮮半島においては南北の厳しい軍事的対峙が続き、又、中国人民解放軍や極東ソ連軍の増強が続きました。日本にとり極めて重要な先祖伝来の固有の領土である北方領土、北海道東端から目と鼻の海上にある国後、択捉、色丹島等の四島にもソ連軍の師団規模以上の陸上、航空兵力が配備され、軍事的には大変緊張した状態が続きました。中国大陸においては、1964年10月核実験が初めて成功し、更に1967年は水爆実験にも成功しました。中国人民解放軍による現実的な核兵器の保有、ミサイル整備等又、近年には海上、航空戦力の大幅な近代化を推進する等着々と軍備の増強を行っていることはご承知の通りです。 私は、その様な日本にとり、防衛、軍事を中心とする安全保障環境の最も厳しい状況の頃に防衛庁に入庁し、日本の防衛力整備計画の立案実施、防衛予算の編成など各般の仕事に直接、寝食を忘れて従事しました。それは本日の様に、今日にも及び継続し諸情勢を幅広く観察しつつ直接、間接に日本の平和と安全に関与しているところであります。 1972年5月懸案であった沖縄県の施政権の日本への返還(沖縄県本土復帰)が日米間で政治決着し実現しました。私は沖縄県の米軍基地の自衛隊への引継ぎに関し、日米の返還交渉の過程で、1971年夏、現地調査団に参加し、沖縄県宮古島に配置された米軍の警戒監視用のレーダー・サイトに防衛庁関係者として最初に視察調査に入りました。宮古島の平良港に落ちる夕陽の美しさは今でも忘れることが出来ません。現地アメリカの行政官府の関係者の話しで、当時の平良港には台湾からの漁船などの船舶が、夜間立ち寄っているとのことで、初めて台湾を身近に感じました。日本の最西端の島、与那国島からは台湾が望遠できると聞き、尚更その思いを強く致しました。1971年6月のことでした。 沖縄県は翌1972年5月、正式に「核抜き本土並み」ということで日本に復帰し沖縄における米軍並びに自衛隊による基地問題は新たな歩みを刻むことになりました。 同じ頃、国際政治の舞台上では1971年10月国連総会で台湾に替わり、中国が正式に加盟し、常任理事国として安全保障理事会の席を確保しました。翌1972年2月、ニクソン米国大統領が中国訪問し、米.中共同声明が発出されました。 その頃、日本と台湾との間は、ご案内の様に1972年9月、田中首相が中国を訪問し、大陸・中国との国交正常化が行われ、中国共産党政府との間で正式に国交が結ばれました。日本に先立ち、アメリカは大陸.中国との国交正常化を図りましたが、その際、米国は台湾に対し米国の国内法ではありますが、実質的な安全保障上の配慮措置として、いわゆる「台湾関係法」を制定し、台湾海峡をはじめ、台湾周辺の平和と安全の為、一定の重要な配慮を致しました。日本は台湾との政経分離を考慮しつつ、中国政府との国交正常化を行い今日に至っております。米国及び日本にとり、中国政府との関係では台湾は中国の国内問題という位置づけではあります。 しかしながらその歴史的経緯、台湾国民の全世界における経済活動の規模並びにその重要性は、地域を越えて、大きな影響力をもつこと、台湾海峡の通商海上交通路としての重要性は、いわば日本の経済社会活動にとり、死活的に重要であることは多言を要することのない真に誰の目にも明らかなことです。 海上交通路の安全確保は極めて重要な戦略的事項であります。日本の防衛政策は「専守防衛」の下、日本への外国軍による着上陸の阻止と海上交通路の確保という二つの大きな観点から行われて来ました。「海上交通路の安全確保」いわゆる「シーレーン防衛」は同盟国アメリカとともに、東アジア全体の平和と安全にとり、不可欠の要素であることは言うまでもありません。台湾の中国との平和的手段による解決は、日米の外務・防衛首脳間における本年2月ワシントンでの共同声明に、日米共通の戦略目標として位置づけ確認していることはご承知の通りです。 1991年第二次世界大戦後、厳しい対立と抗争が続いていた米・ソを中心とする東西両陣営のなかんづく、NATO(北大西洋条約機構)とWPO(ワルシャワ条約機構)との対立が、ソ連邦の崩壊の下で解消し、核戦争の危惧をはらんだ東西冷戦の終焉となりました。 しかし乍ら、特に北東アジアにおいては北朝鮮の核開発疑惑や金日成主席の死去、自然災害、食糧難、国民の国外への大量脱出など、北朝鮮の政治、経済の厳しい状況の変化は、後継の金正日体制維持の為、核保有、ノドン・デポドンミサイルの開発整備に傾斜し、又、度重なる日本人拉致の実行など地域の安全保障上の重大懸念事項となっています。 冷戦という見えざる大戦の終結にともない、その政治的、経済的効果の再配分は主として米国をはじめ、ヨーロッパ諸国においては、軍事態勢の変換、再配置が進められつつあり、またNATOの東欧地域への拡大や欧州連合EUの成立とその拡大、東西ドイツの統一、東ヨーロッパ諸国の民主化、西欧化という過程をたどりながら進展しています。 一方、突如としてイラクのクェートへの侵攻、これに起因する湾岸戦争の発生や、冷戦時代では抑止されていた宗教、民族、地域などに起因する紛争等が地球上の各地で頻発し、旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナやコソボでの紛争はその典型的な事例となりました。 中東のイスラエル・パレスチナ問題はアラファトPLO議長の死去等曲折を経ながらも平和的解決を目指しているが、相変わらずテロ軍事抗争が日々続けられています。数年前、日本政府による渡航制限下のボスニア・ヘルツゴビナのサラエボに参りました。デイトン合意の危うさを現地のSFOR部隊の責任者から聞きました。サラエボでの冬季オリンピック会場跡は平和の祭典オリンピックと正反対の内戦による犠牲者の墓地となっていました。 ところで日本はカンボジア内戦のパリ和平会議成立を踏まえ、自衛隊を海外派遣するための法整備を行いました。その時私は、政府の「国際平和協力法案」準備室次長に就任し、内閣審議官(防衛審議官)として、法案作成に直接関与し、法案成立に心血を注いで成立させました。 これは太平洋戦争終了後初の、大規模な自衛隊部隊海外派遣ということで国民の間で大議論となり、国会では長期の徹夜となりましたが、成立させることができました。 その結果、アジアの一国カンボジアに自衛隊施設部隊を派遣することがでできたのです。これは戦闘目的ではなく、あくまでも復興のため人道的な支援が目的でありました。つまり日本が責任ある国際社会の一員として、国際的義務を誠実かつ積極的に果たすこと、それが唯一の目的であったわけです。又、その結果、波及的な効果として周辺地域の平和と安定が図られることを目指しておりました。 その後、この約10年間の間に幾度か国連平和維持活動が世界各地で行われていますが、アメリカでの9.11同時多発テロ発生後、インド洋における洋上補給作戦への参加、イラク戦争後はイラク南部、サマワでの復興支援活動など、同一の趣旨で行われていることはいうまでもありません。海外派遣に至る理由はテロ事件をはじめ複雑多岐ですが、日本は一貫して戦闘行動は行わないとの方針の下、国際社会と協力しつつ、実効力を自衛隊の技術的能力や部隊の総合力に委ねながら効果的な活動を行っております。そうすることによって国際社会で高い評価を受け、更に定着化を目指しているところであります。 この様な東西冷戦の終結にともない世界的規模の構造変化とアジア地域における経済活動の活発化、朝鮮半島情勢の緊張の激化、などを踏まえ、1997年日米安保条約の今日的な意義の見直し、「日米防衛協力の指針」いわゆる日米ガイドラインの策定作業が日米双方で行われました。 この事はいわば、私は実質的な日米安保条約の第2次改定にも匹敵する政治・軍事的かつ戦略的な判断に基づく重大な出来事であったと位置づけております。 この日米安保条約の再定義に基づく日本国内の法整備、周辺事態安全確保法や船舶検査法(いわゆる臨検法)があいついで国会で成立しました。 本法律整備については国会議員として直接関与、与党・自由民主党の参議院国会対策副委員長、外交防衛委員会や周辺事態安全確保法特別委員会理事として、日夜の努力を行ない実現しました。船舶検査法は特に防衛政務次官として実現を図りました。 日米安保条約の適用範囲はフィリピン以北と解釈されており、台湾周辺も当然のことながら含まれております。新たな日本の国内法である「周辺事態安全確保法」は種々の政治的配慮の上に成立したため、その解釈適用にあたっては地理的概念を示すものではなく、その事態様相により対処するという周辺事態の性質に着目することとされています。もし、万が一にでも不幸にして台湾海峡有事という非常事態が発生した場合、当然アメリカや日本にとり、その具体的な事態様相、周辺での混乱の強弱が地域的ないし、全世界的な波紋の拡大といった直接的かつ間接的な影響を考慮し、綜合的、全体的に判断されることになると思います。いずれにせよ、台湾海峡に係わるシーレーンの安全確保という日本や米国にとり死活的な重要性を踏まえて、判断されることは、当然のことと考えられます。 これに前後して不幸にも米兵による暴行事件の発生、ヘリコプターの墜落事故など、沖縄県民のみならず日本国民全体の感情を深く重く刺激する出来事が続きました。この様な状況の下において、沖縄県における米軍基地問題は、国内、特に県民の平穏な生活への重い負担をいかに早急に国民的規模で解決するかということです。 このことは東アジア地域全般の平和と安全に直接影響する戦略的な意味をも有するテーマという重い側面もあるということは事実です。 沖縄県内における米軍の訓練の本土移転や騒音環境問題、航空機ヘリコプター等の住宅街への墜落など、あるいは米兵による性犯罪などの問題は日米の当事者に深刻な亀裂をもらし、米軍の地位協定の取り扱い、運用方法の改善など多方面に深刻な影響を及ぼしています。特に、第3海兵遠征軍所属の普天間基地(ヘリコプター基地)の移設計画は、1996年日米首脳間で合意、確認されたにもかかわらず、その後環境問題等の反対運動で頓挫し、その解決の目途がたたぬ事態となりました。 そんな中で2001年、9月11日米国同時多発テロ、2002年3月のイラク戦争や中近東、ロシア、インドネシアのバリ島、ロンドンやヨーロッパ各地での爆弾自爆テロなどの頻発、大量破壊兵器の拡散による新たなる脅威の出現、軍事技術の革新的な発展、兵員.武器の大量・急速移動手段・システムの確立などを受けて、米軍全体の世界的規模での効率化、再編成という政治決断が2003年11月米国ブッシュ大統領により行われました。 東アジアにおいてはその結果、韓国駐留米軍約1万2,500人の撤退や再配置が既に合意し、実行されつつあります。 日本における米軍の再配置問題についても、同様に「新たなる脅威」への対応、軍事技術の進歩、日本の新しい防衛計画の策定、又沖縄県民の負担軽減の実現という課題の解決を図るため、日米の事務当局間で精力的な協議がこの数年行われてきました。 その結果、さる10月29日、ワシントンで日米の外務・防衛閣僚による日米安全保障協議委員会いわゆる「2+2」が開催され、日米による「中間報告」が合意されました。来年2006年3月末を目途に、最終報告することが確認されました。又このことは11月16日の日米首脳会談において、再確認をしたところであります。今後、日米両国の合意事項の確実な実現のため、失敗の許されない努力が求められることになります。特に日本政府にとり、基地問題解決という特異な国内的な努力が重くのしかかることは確実と思われてなりません。 合意事項の骨格は、「日米同盟」を未来に向けより強固なものにするために日米安全保障条約を中核に据えた「変革と再編」とすることであります。軍事防衛面での抑止力の確保と、具体的な沖縄県民の負担軽減という多面性を持つテーマの両立という難題に取り組まなければなりません。米軍の兵力構成についても、先年の、日米間の合意に基づき日米で協議し、「役割・任務・能力」について議論を深めたものとなっています。又、海兵隊司令部並びに兵員など約7000人の米国グアムへの移転.削減、普天間飛行場の沿岸部への移設など、極めて重要で困難な内容を多数含んでいます。戦略的な沖縄県の地政的な位置を踏まえ、新たな脅威の出現や安全保障環境の変化に的確に対応する軍事的機能抑止力の維持・向上と地元住民の負担の軽減との調和を目指すものであります。その実現には日本政府も法制度化、財政的な面も含め全力で対処し、実現を図らねばなりません。いわば在日米軍の再編と米軍の自衛隊との共同作戦行動、情報の共有や緊密化を図ることを通じて日米同盟の深化を実現し、東アジアでの実効的な安全保障体制の構築を目指すものでもあります。台湾の平和と繁栄にとっても、この地域の平和と安定のための基軸としての日米同盟の存在とその有効な機能発揮が望まれることと考えます。 日米の台湾での共通の関心懸念事項は、台湾と中国との間の軍事バランスが今後どのようになるかということです。拡大する高度経済成長下で、急速な軍の近代化を図る中国と台湾の軍事改革の歩みがどのように変化するのでしょうか。 中国と台湾の軍事改革の歩みがどのように変化するのか、台湾海峡を挟んでの双方のバランス如何ということがより真剣に評価検討されなければなりません。 今後、将来にわたる日本と台湾との関係は両者の人的往来、特に若い人達の交流が不可欠であると考えます。自由主義、民主主義という人類普遍の価値観を共有する立場で、過去の歴史を前向きに積極的に乗り越えて、人権、貧困、感染病、特にエイズ、鳥インフルエンザ等の日台双方による共同対処、性的抑圧、組織犯罪といった「人間の安全保障の確立」という、国境を越えた共通のテーマに共同で取り組んでゆくことが非常に重要であると考えます。とかく経済的な利益の追求という政経分離政策の結果に傾斜しがちですが、新しい視点で積極的に国際社会の重要な一員としての責任を台湾の皆様に是非担ってほしいと心から念ずる次第です。 ご清聴清聴誠に有難うございました。 (参考資料)
「米軍のトランスフォーメーションとアジア安保体制」国際講演会 | ||||||||||||||
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