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『台湾青年』に触発されて、我々のアメリカでの独立建国運動は始まった
張燦鍙/元台湾独立建国聯盟主席・前台南市長・化工博士  2002年7月17日

原載 台湾青年 第500号 停刊記念号 2002年6月5日発行


四十二年という長い年月、絶えることなく刊行されてきた『台湾青年』が、遂に任務を果たし、第五百号を以て停刊することになった。国外そして国内で、このように長い期間、台湾独立運動と共に歩んできた『台湾青年』の停刊を前にして、私の心境はとても複雑である。

『台湾青年』は、私を含めて多くの人々を啓発してくれただけでなく、長期にわたり国外で孤軍奮闘してきた我々にとって、精神の糧であり、支えでもあった。台湾人としてのアイデンティティと台湾独立建国の理念を育んできた『台湾青年』が、時代の任務を成し遂げたことを嬉しく思う。その一方で、『台湾青年』の停刊を惜しみ、淋しさを感じるのである。

一九六一年、私はライス大学の奨学金を得てアメリカへ留学した。当時の台湾は、戒厳令下の恐怖政治で、思想や言論が厳しく統制され、社会、政治、経済、歴史、文化などであらゆる面で、政府の一方的宣伝だけを知らされ、その見解に反対することは許されなかった。アメリカに向かう途中、私は飛行機の乗り継ぎで、東京の羽田空港に立ち寄った。そのとき休憩室で、秘かにチラシを配っている台湾人留学生がいた。彼は私に、台湾は異常な独裁統治下におかれて台湾人が厳しく抑圧されている事などを話してくれた。台湾では決して聞くことのできない話だったので、私は大きな衝撃を受けた。

私はライス大学大学院に入学したが、当初は友人もなく知合いもいなかった。あの頃アメリカに留学した台湾人の殆どが、そのような状態であった。しかし、アメリカで生活するようになるとすぐ、民主主義の大切さと専制独裁体制の悲惨さを痛感させられた。そして、羽田空港で私にチラシを渡し、台湾の独裁政治の悪辣さを話してくれた台湾青年の真剣な表情を思い出した。そこで、そのチラシに書かれていた東京の住所に、資料を送ってくれるよう手紙を出したら、旧知の侯榮邦さんから月刊『台湾青年』が送られてきた。それ以来、私は毎月送られてくる『台湾青年』から知識を吸収し、台湾人としてのアイデンティティーに対する認識を深め、台湾に対する逃げることを許されない重大な責任を感じるようになった。

当時のアメリカでは、台湾独立の理念を宣伝する資料は極めて少なかったので、私は友人を集めて大学のキャンパスで、『台湾青年』を台湾人留学生に配ることにした。それを見て、我々を激励してくれる人もいれば、恐れをなして逃げ出す者もいた。自分自身の安全だけではなく、台湾の家族や友人に迷惑がかかる可能性まで無視して、台湾独立運動に参加する留学生は極めて少なかった。しかし、フロンティアの開拓者のように、『台湾青年』を配りながら、ねばり強く説得を続けているうちに、次第に同志が増え、台湾の独立建国を目標とする力が結集され、後の台湾独立建国聯盟米国本部の成立に至ったのである。

長年にわたり、『台湾青年』の発行に努力してきた同志や友人達に、深く感謝の意を表したいと思う。『台湾青年』の段階的任務は終ったが、台湾独立建国の完成には、まだ皆の努力が必要である。目的を完遂するまで、皆で力を合わせて尽力しましょう。

(中文より謝佳玲訳)


台湾独立建国聯盟ウェブサイト /WUFI Web-site
World United Formosans for Independence

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