| 「台湾とその将来」に関する白書 |
| 1999年1月 |
本白書の目的と概要 カナダ、ヨーロッパおよび米国に居住する海外台湾人社会(本書巻末に列記された諸団体によって代表される)は、この白書を通じて、われわれの母国台湾についてのより深い理解が北米およびヨーロッパにおいて促進され、台湾が他国と平等で、かつ十分に資格を有する一メンバーとして国際社会に受け入れられるよう、諸国の支持を得たいと望むものである。(注・台湾独立建国聯盟の参加により日本と南米の台湾人社会も本白書を確認している) 以上の各章において、まず歴史的な背景を簡単に述べる。続いて法的および政治的見地からわれわれの主張を提起し、民主主義、人権尊重、国連加盟の普遍性、住民自決、平和と安定などの基本的原理に基いた政策への勧告を提案して結論とする。 1、緒論 台湾は十字路にさしかかっている。過去10年のあいだに、台湾島に住む人々は、海外台湾人社会の支持を受けて、この島を抑圧的な一党独裁から多党制民主主義の国土へと変容させてきた。 このような進歩にもかかわらず、台湾は今だ国際社会から完全かつ対等なメンバーとして受け入れられていない。中国は引き続き台湾が国際組織へ加入することを阻害し、もしこの島が「法的な」独立の方向へ一歩でも足を踏み出せば攻撃を加えると恫喝している。 一九九五年から九六年にかけて、台湾における最初の総統直接選挙の運動期間中、共産中国は台湾に対して軍事的な威嚇行為を行い、この島へ向けてミサイルを発射した。この事は、かなりの遅疑逡巡の後、遂にクリントン米行政府に行動を決断させ、この地域に二隻の航空母艦を派遣させるに至らしめた。 一九九八年の半ば、クリントン氏が中国を訪問したとき、彼はそれまでの「慎重な曖昧さ」という米国の外交政策の定式を意図的に逸脱して、「三つのノー」を宣言した。すなわち、「二つの中国」、「一つの中国、一つの台湾」、「台湾独立」を支持せず、また国家であることを必要条件とする組織へ台湾が加入することも支持しないとした。 台湾についてのクリントン氏の声明はその後議会で退けられ、上院と下院の両方でほとんど全員一致で否決された。この声明はまた、米国のほとんどすべての主要出版物で多数の評論家によって批判された。それにもかかわらず、四十年間以上も住民自決独立および国際社会への参加を求めて努力してきた台湾の民主運動にとって、この声明はやはり横面への平手打ちであった。 この島の未来にとって、これからの数年は決定的に重要なものとなるであろう。一九九八年の暮れ、立法院(台湾の国会)の二百二十五議席および台北と高雄の市長をめぐる選挙が行われた。これらの選挙は、いまや台湾において民主主義が確固として構築されていることを示した。ほぼ一年あまり後の紀元二〇〇〇年の三月には、総統選挙が行われる予定である。その時点では、民主的な反対党である民進党が総統選を勝ち取るかもしれない。 この決定的に重大な時期に際して世界の台湾人市民として、われわれは、国際社会、特に米国、カナダおよび民主主義の原理を標榜する他の国々に対して、以下の諸点をアピールする。 一、国連憲章が奉じる住民自決の原則にもとづき、台湾人が彼ら自身の未来を決定する権利を有することを肯定する事。 二、台湾に対する武力行使を放棄し、五十年前の国民党との内戦に遡る敵対関係を停止して、台湾を友好的な隣国として受け入れるよう、中国に対して催促する事。 三、国連を初めとする国際的諸団体の完全かつ対等なメンバーとして、台湾を受けいれる事。 2、歴史的背景 一六〇〇年代から一九四九年まで 問題のポイントは、北京の当局が主張するように、台湾が中国の一部と考えられるのかどうかということである。このような考え方は、一九四五年以降渡台してきた国民党当局の伝統的な立場でもあった。 記録に残るほぼ四百年間の台湾史を概観すれば、台湾は決して中国の不可分の一部ではなかったことが明白となる。 a、台湾についてのもっとも包括的な歴史的記録は、ほぼ三百五十年前のオランダ占領時代(一六二四年〜一六六二年)に遡る。これらの歴史的記録はマレー・ポリネシア系の原住民の存在を示しているが、中国人による開拓地や行政機構の痕跡はまったく示されていない。 実際に、ニュージーランドにおける最近の研究は、オーストラリア・ニュージーランド・ポリネシアなどの地域のポリネシア系およびマオリ族の住民が、たぶんその源を台湾に発していることを示している。 オランダ時代、明朝の忠臣鄭成功とその息子による支配時代(一六六二年〜一六八三年)以後、中国の沿海地域から台湾へ移住してくる者が次第にふえてきた。しかし、これらの人々は中国沿海地域での戦禍や飢饉を避けて台湾に逃れたもので、当局の意を受けた台湾を開拓するためにやってきたわけではなかった。その後、清朝各代の皇帝政府は、この島に対してほとんど関心をもたなかった。 一八八七年から一八九五年に至る短い期間、清朝の満族は台湾を中国の一つの省であると宣言したが、これは日本の南方への膨張を阻止する企図でなされたものであった。これは徒労に終り、一八九四年から一八九五年までの日清戦争の後、下関条約(一八九五年)において清朝政府は台湾を日本に永久割譲したのであった。 台湾人は日本に併合されることを好まず、離反した清朝の官僚の助力を得て、一八九五年五月二十五日、アジアにおける最初の独立共和国である「台湾民主国」を建立した。 数日後の一八九五年五月二十九日、一万二千人を越える日本の軍勢が台湾北部に上陸し、この独立の動きを潰し始めた。一八九五年十月二十一日、日本帝国の軍隊は台湾民主国の南部の首都である台南に入城し、この短命の共和国に最後の止めを刺した。その後の五十年間、第二次世界大戦の終結まで、台湾は日本の植民地であった。 b、一九四五年、台湾は「中国に返還された」のではなく、連合軍の代理としての中国に占領されたのであった。ダグラス・マッカーサー将軍は、連合軍最高司令官として、蒋介石の軍隊が連合軍を代表して台湾を暫定的に軍事占領することを委任した。彼らは「連合国に委任された受託者」として、この島に対して行政力の行使を始めたのであった。 最初のうち台湾人は、日本人の支配を脱したことを喜んだが、間もなく彼らの喜びは悲しみに変った。これら中国からの新渡来者たちは腐敗した圧制者で、島中を略奪し、台湾人を征服された二級市民のように取り扱ったのであった。 この緊張状態は遂に爆発して一九四七年二月二十八日の大虐殺を引き起こすことになった――この日、台北市内で起きた小さな事件が全島的な示威へと発展したのであった。当初国民島は、不意をつかれたが、秘密裏に中国大陸から部隊を増派し、台湾人の指導層、学生、弁護士、医師などを一斉逮捕し処刑した。殺された人々は、全部で一万八千人から二万八千人に達する。これに続く数年間の「白色テロ」の期間中、国民党の残虐非道なKGBタイプの治安機関である台湾警備総司令部は、数千名を逮捕・監禁し、I問を加えて殺害した。 c、一九四九年には、台湾は「中国から分離した」わけではなく、中国内戦の敗者によって占領されたのであった。この年、中国での内戦において蒋介石は共産党に敗れて台湾に逃れ、この地に敗残政権を設立した。したがって、台湾が中国から「分離」したとする議論は誤りである。そもそもその時点で台湾は、中国の一部ではなく、公式には依然日本の主権の下にあったからである(後述参照)。台湾が論争の種となったのは、ひとえに、国民党と共産党という二つの抗争中の勢力が、台湾人自身が何ら与り知らぬ内戦を続けたからである。 一九四九年――一九八七年 その後の四十年間、台湾人は戒厳令の下に置かれた。この間、中国国民党政権は自分が中国全土を支配し、将来中国大陸を、「回復する」という虚構を維持しつづけようとした。蒋介石と一緒に大陸から渡来した中国人は、この島の人口の十五パーセントしか占めていなかったにもかかわらず、政治・警察・軍隊・教育・マスコミなどすべての組織を厳しく統制することにより、八十五パーセントの土着の台湾人に対する支配的地位を保つことができた。<> 一九七一年に国連が北京を中国を代表する政権として認めたこと、一九七二年にニクソン大統領が中国を訪問したこと、そして特に一九七八年十二月に米国が外交承認を国民党政権から北京政権へ切換えたことは台湾に痛烈な打撃を与えた。このことは同時に、一九七〇年代後半から一九八〇年代前半にかけて、台湾における民主主義的な反体制運動の成長と進展にはずみを付けるものとなった。 一九七九年十二月の高雄事件は、島内および海外の台湾人を奮起させ、政治行動へ駆り立てた。「党外(無党派)」の民主主義的反体制運動がスタートし、全中国を代表するという国民党の時代錯誤的な主張に異議を唱え、四十年間もの戒厳令を終結させるべく動き始めた。一九八六年の九月、この運動は民進党の創設へ至る盛上りをみせたが、時を経ずしてこの党は本格的な反対党へと成長していった。 一九八七年――一九九二年 民主的政治体制への移行 戒厳令は一九八七年に、遂に解除された。このことには、台湾島内の圧力とともに国際的圧力も大きく寄与した。島内では民主主義的な反対勢力の組織化が進み、その主張もますます活発になった。海外からの支援で特に重要だったのは、米国上院議員エドワード・ケネディ氏、クレイボーン・ペル氏、下院議員のジム・リーチ氏、スチーブン・ソラーズ氏などの尽力である。彼らは、台湾系アメリカ人社会からの請願を受けて、何度も公聴会を開き、台湾における人権と民主主義の欠如状態について審議した。 一九八七年には、苛酷さにおいて幾分ゆるくなった国家安全法が、戒厳令にとって代ったが、しかし、国民党が中国全土支配の主張を取り下げ、また年老いた中国国民党の立法委員たち(一九四七年に中国大陸において選出された)を引退に追いこむには、一九九一年まで待たねばならなかった。それ以降、この島は完全な民主主義政治体制へ向けて長足の進歩を遂げてきた。しかしながら、今日に至るまで、国民党政府は、「台湾は中国の一部分という時代遅れの主張に固執しつづけている。 一九九二年――現在 民主主義成るも、国際的承認を未だ得ず 一九九二年以来、台湾は民主主義的諸制度を次第に整備した自由な国家へと進展を遂げてきた。買収選挙などの汚点はいまだ残っているが、全体として選挙のプロセスは次第に公平さと公開性を増していっている。抑制と均衡のシステムは、まだ十分に機能しているとは言い難いが、行政院と総統の権力をチェックする上で、立法院の果す役割は日を追って重要なものになっている。司法に関しては、与党国民党のコントロールはなお相当強いものの、独立の機関として司法は次第にその影響力を強めつつある。 新聞や雑誌の報道記事は、次第に客観的になってきてはいるが、与党国民党の影響力は出版物において依然として行きわたっている。電子メディアにおいても、国民党の支配力は未だ優勢である。三つの主要なテレビ局は、それぞれ国民党、軍部、省政府の所有となっている。現在他の二つのテレビ局が食い込みをはかっているが、一つは香港関連の所有で、もう一つは野党である民進党寄りである。 年ごとに活気を強めるこの民主的な民族国家は、いま完全かつ対等のメンバーとして国際社会に受け入れられることを望んでいる。民主的な反対党である民進党に促されて、与党国民党は一九九三年に国連加盟の問題を提出しはじめた。 3、国際法に基く見解 国際法的な見地から見ると、過去一世紀に起きた四つの出来事が、台湾の地位を考える上でもっとも重要なものである。 最初の出来事は一八九五年に起きた。この年、日本は日清戦争において清朝を破り、中国は下関条約によって台湾を日本に永久譲渡した。 第二の決定的な出来事は、一九四五年に蒋介石の軍隊によって行われた台湾の「臨時占領」である。この時代の連合軍の文書に明確に述べられているように、この占領は「連合軍を代表して」行われたものであったが、時を経るにつれて恒久的な様相を帯びてきた。しかし、サンフランシスコでの審議(下記参照)が示すように、このことはこの島の正式の法的地位に変更を与えるものではなっかた。 三番目の決定的な出来事は、一九五一年のサンフランシスコ講和条約の会議で、これを経て連合国と日本は正式に第二次世界大戦を終結した。この条約は、日本が台湾に対する主権を放棄したことのみを決定したが、この主権の受領者を明記しなかったため、台湾の未来についての論議にとって重要なものである。この会議の主席者の大多数は、この島の住民の意見が考慮されるべきである、との見解を表明した。 イギリスの代表は、「そのうちに、国連憲章の目的と原理に沿った解決が見つかる時がくるにちがいない」と述べた。エジプトの代表は、「主権の受領者を明記しないことの理由は民族自決の原理と台湾住民の表明された願望が考慮に入れられる機会を与えようとするものである」と述べた。またフランスの代表は「台湾の法的地位は、台湾住民の願望を考慮に入れて、近日中に決定されるべきである」と述べた。 国連憲章第一条二項は、「平等な権利と住民自決に対する尊重に基づいて、諸国民のあいだの友好関係を発展させること」が国連の目的である、と述べている。このことから、次の結論が引き出されるはずである。すなわち、台湾人は住民自決の原理に基づいてこの島の将来の地位を決定すべきである、というのがサンフランシスコ平和会議の参加者の意図するところであった。このように、サンフランシスコ平和条約は、二十世紀におけるたった一つの台湾の地位を扱った国際条約である。 第四の決定的な出来事は、一九七一年の国連代表権の変更であり、更にそれにつづいて、中国を代表する政府として国民党政権が否認されたことである。一般の感覚と異って、このことは台湾の地位に何らの変更ももたらさなかった。なぜならば、国連大会決議案第二七五八号は、国連において誰が「中国」の正当な代表者であるかを扱ったもので、台湾の地位に関するものではないからである。 一九七二年の米中間の上海コミュニケおよびその他のコミュニケ(これらはアメリカの台湾政策の基本としてしばしば引用されるのであるが)は、台湾の未来に関する論議において、決定的な要因とはなり得ない。これは以下の理由に基づく。 第一に、これらコミュニケは単に一つの会談の終了時になされた声明にすぎず、米国国会によって批准されたものでも、国際社会の同意を得たものでもなく、したがって一つの条約に匹敵する重みを有していない。第二に、それも最も重要なことは、これらのコミュニケは台湾の住民による参与も意思表示もなく行われたもので、したがってこの島の未来を決定する上でどのような有効性をももたない。 国際法的な見地に立てば、台湾の未来に関する議論は、国連憲章の尊重する基本的な原則とサンフランシスコ平和条約会議の結論にもとづくことが本質的に重要である。 4、政治面での考え方 アメリカと他の西側諸国の現在の「一つの中国」政策は、一九七〇年代の初期に始まる。上海コミュニケの定式文書は、「……台湾海峡両側のすべての中国人が中国は唯一であり、台湾は中国の一部であると主張していることを、アメリカは承認する」と述べている。しかしながら、その当時は北京と台北のどちらの政府も自分が全中国の合法的の統治者であり、中国は台湾を含むとする虚構を主張していたという事実がある。アメリカの「一つの中国」政策は、明らかに台湾人の意向への配慮を欠いており、したがって民主主義と住民自決の基本的原理に違反している。また一九七二年から現在に至るこの島の政治構造の民主化と台湾化の事実をも、全く無視している。 一、「一つの中国」政策は、民主主義の原理に抵触する。なぜならば、一九七〇年代の初期において台湾は国民党戒厳令下の圧制の下にあり、この島の人々は台湾の地位についての彼らの見解を表明することができなかった。国連における諸決議においても、または台湾人の参与も意思表示もなく行われた上海コミュニケにおいても、台湾人の声はまったく届かなかったのである。 二、「一つの中国」政策はまた、一九九八年の台湾が一九七二年の「中華民国」とはまったく異なるという事実を考慮に入れていない。中国国民党政権の下で四十年間の戒厳令統治を終えた後、この島の人々は独自の台湾ブランドの民主主義システムを創り上げた。彼らは明確に、そして大多数の意思として、中国共産党の統治下に入りたくないことを表明している。 彼らはまた勤勉さと創意工夫を発揮して、東アジアでもっとも繁栄かつ安定した経済の一つを作り上げた。一人あたりの収入は一万三千ドル以上で、中国の二十倍に達している。台湾人は自分たちが苦労して獲ちとった民主主義に基づく自由と経済発展の実績を易々と手離すことはないであろう。 反対党である民進党(この党の憲章には台湾の独立が唱われている)に対して、一般の支持が増大していることは、台湾が事実上の独立に向けた動いていることを示している。一九九七年十一月の地方選挙では、事実上すべての主要選挙区において、民進党が勝利を収めた。地方自治レベルでは、台湾全人口の約七十二パーセントが民進党の県知事や市長を首長に載っている。 緒論において述べたように、一九九八年十二月の選挙は台湾において、民主主義が定着するだろうことを示している。二〇〇〇年三月の総統選では、民進党は相当な勝機を有するであろう。 台湾の二千八十万の人口のうち、自分自身を(中国人ではなく台湾人だと思っている人のほうが多数で、その割合が次第に増えていること、また台湾独立への支持も増大していることを、各種世論調査が示している。過去十年間の世論と投票の流れは、この島の日増しに増大する多数者が台湾を中国とは別個の主権国家であると考え、自分の国が国際社会の完全かつ対等のメンバーになるのを望んでいることを示している。 したがって、台湾と中国が分裂した中国のそれぞれの部分である、という国民党の伝統的な立場は、台湾自体の中で支持を失いつつあり、またわれわれ海外台湾人の社会においても、受け入れられないものとなっている。 一方、中国国内では共産主義のイデオロギーは完全に信用を失った。中国共産党は、どぎつい民族主義に頼って、その権威主義的な統治を正当化している。台湾に対する中国の攻撃的な政策は、部分的に民族主義に基づくものであり、部分的には軍に対するシビリアン・コントロールの弱体化に対処するためのものである。 5、安全上および戦略上の考察 東北アジアの日本・韓国から東南アジアヘと至る主要なシーレーンをまたぐ位置にあるため、台湾はこの地域の自由貿易にとって重要な戦略的地位を占める。 過去十年以上、台湾はこの地域における安定した政治・経済の担い手として発展し、同地域のさまざまな組織において役割を増大し、日本・韓国および東南アジア諸国との互恵的な関係を強化してきた。 しかしながら、近隣諸国を脅し、人の迷惑をかえりみず、横車を押したがる中国の性癖は、とどまるところを知らず、このことが東アジアに深刻な憂慮をもたらしている。中国はまた、その軍事能力の増強をほかっている。駆逐艦の外、彼らは最新鋭のSU― 27型戦闘機やキロ級潜水艦などをロシアから入手している。彼らはミサイル保有量を増大させており、また極東に展開する米軍や台湾を脅かす新世代の高速高精度ミサイルを開発中である。 今後の五年から十年までのあいだ、中国は台湾の防衛力を圧倒するだけの能力を持たないだろうが、その機が来たと感じたとき彼らは台湾を攻撃するであろう。 万一台湾が中国に吸収されたら、東アジアの主要水路が中国のコントロール下に置かれ、アメリカ、日本、韓国などにとって不利な状況が展開されるであろう。その結果、核の拡散が日本、韓国、北朝鮮にまで及ぶことが十分予想される。 6、さまざまな政策選択肢 一、「現状維持」の考え方 アメリカや他のほとんどの西側諸国が現在採用している考え方は、北京当局を中国の政府として承認し、台湾当局との非公式(主として経済的および文化的)な関係を承認するものである。 それは、「ボートを揺さぶるな」を信条とし、台湾と中国との間の政治的論争には極力関わらぬようにするものである。また現状維持が、何とか両政権間の相違の平和的な解決へと発展することを期待もしている。 しかしながら、このような考え方は現実とは相容れない。なぜならば、これは民主主義国家として台湾が成し遂げた大きな進歩を無視しており、また今日の台湾が五〇年代、六〇年代、七〇年代の「中華民国」とは根本的に異なっているという事実を無視しているからである。 このような考え方はまた、中国の攻撃的で対決的な姿勢を無視している。もし、このような情況が続けば、中国は台湾をどんどんコーナーに追いつめ、台湾を孤立化し、この島を「奪回」するための準備を着々と進めるであろう。 このように実際には、「現状維持」とは、台湾がより厳しい孤立状態へ流され、中国が軍事的、政治的、その他さまざまな脅迫手段を用いて、台湾を屈服へ追いこむ危険が増すことを意味する。 二、「地政学」的な考え方 キッシンジャー流の地政学的な考え方によれば、グ口lベルな政治権力として、また西側商品の市場としての中国の重要性は、他のすべての考慮に先行する。したがって、台湾はそのための邪魔になってはならず、中国と統一のための交渉を始めるよう、これに圧力をかけるべきである。 このような考え方は、懸命に頑張って自由を獲ちとり、やっと民主主義を達成したばかりの小国の権利を犠牲にするものである。 この考え方は、近隣諸国に対する中国の軍事的脅威と威嚇を黙認することであり、東アジアおよび東南アジア全域の民主主義を危険に晒すことになる。 この考え方は、日本や韓国などの国が同盟国としてのアメリカに対して今なお抱いている信頼感を堀り崩し、特に米軍の前方のプレゼンスに対する信頼性を大いに損うものである。 台湾問題に対するアメリカのこのような柔弱さは、日本と韓国に彼らの姿勢を再検討させ、彼らを姿勢硬化(そして緊張増大)または姿勢軟化のいずれかへ導き、したがってこの地域の勢力均衡が失なわれる事態を招来するであろう。 第一と第二の考え方は、どちらも棄却されなければならない。そして、第三の考え方に沿った明確な選択が行われるべきである。 三、「基本原理」と「平和と安定」の考え方 この考え方は、民主主義、人権尊重、国連加盟の普遍性、住民自決、平和と安定などの基本的な原理に、かなうことを強調するものである。 民主主義 台湾人は国民党の圧政から現在の自由で活力に満ちた民主主義へと目覚ましい転換を達成した。もし、彼らが非民主的で抑圧的な中国政権と「統一」することを強制されるようなことがあれば、これは基本的な民主主義の原理に対する醜悪きわまりない冒涜となるであろう。 人権尊重 どのようにヒイキ目に見ても、中国の人権の記録は汚点にまみれている。中国にはなお千百ヵ所の強制労働キャンプがあり、六百万から八百万もの人々が収容されていると見積られているが、その中には多数の政治的反対者や宗教的被迫害者が含まれている。チベット人やイスラム教徒に対する迫害も、変わることなく続いている。人民解放軍は、処刑された囚人から摘出した器官を採取・販売する仕事を組織的に行っている。 中国政府が政治的効果を狙って少数の著名な反体制運動家を釈放したとしても、こうしたより大きな人権侵害の状況を忘れてはならない。二千百八十万の自由を愛する台湾人の自決の権利を中国が奪っているとき、彼らが国連の人権および政治的諸権利の条項に署名する意思表明をしたなどということは、空虚な見せかけだけにすぎない。 たとえ台湾人が苦労して獲得した彼らの自由と民主主義を確保したいと表明したとしても、自分たちは武力で台湾を奪取する権利を有する、と中国は主張している。中国の圧力に屈服することは、単に台湾人にとってのみではなく、中国を含むアジア全体の人々にとっても、人権における大きな後退となる。 普遍性と住民自決 国連憲章は、「普遍性」と「住民自決」を、人間と国家の関係の指導原理としている。 国連憲章第一条二項は次のように述べている:「国連の目的は住民自決の原則を尊重して国家間の友好的関係を発展させ、また他の適切な措置を講じて世界の平和を強化することにある」 また、一九七〇年十月二十四日の国連決議2625(XXV)は次のように述べている:「……諸国民はみな、外部からの干渉を受けることなく、彼らの政治的地位を自由に決定し、また彼らの経済的、社会的、文化的発展を追求する権利を有する」。このように、国連は住民自決権を支持しているだけではなく、またこれに激励を与えている。 台湾は、国際社会の完全かつ対等のメンバーとして受け入れられるに足るすべての要件を備えている。二千二百万を少し下まわる人口を有する台湾は、国家であるための国際法上の三つの基準をすべて満たしている。台湾は、明確な領土を有し、明確な人口を有し、国際的協定を結び、これを遵守する能力を有している。 さらに加えて、国連加盟に関して、台湾は抜きん出た資格を有している。国連憲章第四条一項は、「加盟の資格はすべての……平和を愛好し、現憲章に盛られた義務を受け入れる国家に開かれている」と述べているが、台湾は近隣国家に脅威を与えたことも威嚇したこともなく、国連への加盟を希望し、憲章に規定されたすべての義務を果たす意志を有している。 もし、アメリカや他の民主主義国が中国の要求に応じて、台湾人の住民自決の権利や国連などの国際組織に加入する権利を否定するなら、これは自由と民主主義の価値に対する背信行為になることは言うまでもなく、国連憲章に奉じられている基本原則に対する違反を構成するものである。 平和と安定 東アジアにおける平和と安定は、この地域に力の均衡があってこそ初めて維持される。しかしながら、過去十年にわたって、中国はその国境の外側に領土を主張する上で日益しに攻撃的になっている。 このように、アメリカとヨーロッパがより確固とした、より首尾一貫した政策をとり、アジア・太平洋地域の平和と安定に対するアメリカとヨーロッパの関心を主張する構えをとることが肝要である。このような行き方こそ、現今の妥協的な行き方よりも、中国の文官指導者たちに穏健かつ平和的な政策をとらせることを助けるであろう。 中国に対する積極的関与という現在の政策は、アメリカとヨーロッパ諸国が中国の市場へ接近したいとする誘因に支配されていることによるものである。問題は、そのような政策はややもすれば宥和政策に変わり、好ましからぬ結果を招致することである,最近のインドとパキスタンによる核実験はその一例である。 日米同盟関係の弱体化が、もう一つの例であろう。アメリカおよびヨーロッパ諸国は、長期の平和と安定という利益に対して、目先の商業的収益と同等のウェイトを考慮するような、より賢明な中国政策を採用することが必要である。 7、われわれのアピール 世界の台湾人市民として、われわれは国際社会――特に民主主義の原理に忠実であることを表明するアメリカ、カナダ、その他の諸国に対して、以下の諸点をアピールする: 国連憲章が奉じる住民自決の原則にもとづき、台湾人が彼ら自身の未来を決定する権利を有することを肯定する事。 台湾に対する武力行使を放棄し、五十年前の国民党との内戦に遡る敵対関係を停止して、台湾を友好的な隣国として受け入れるよう、中国に対して催促する事。 国連を初めとする国際的諸団体の完全かつ対等なメンバーとして、台湾を受け入れる事。 台湾と中国が、二つの友好的な国民国家として平和的に共存することが、東アジアの平和と安定が保証され得る唯一の道である。 この事は、米国や他の諸国(東アジア地域だけではなく世界中の国)の利益に適うところである。何故ならば、中国が近隣諸国を尊重するようになれば、法による政治を発展させ、国際的な協定や商業契約を守ようになりそうだからである。 このように、アメリカや世界の他の民主主義国家は、台湾人が外部の軍事的、政治的、またはその他の圧力を受けることなく、台湾の将来を自分自身の手で平和裡に決める機会が与えられることを保証する必要がある。 8、この白書への賛同を表明した団体
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台湾独立建国聯盟ウェブサイト /WUFI Web-site
World United Formosans for Independence
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