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集団的自衛権は主権国家日本の基本的権利
黄昭堂/台湾独立建国聯盟主席

本稿は一九九八年五月三日、砂防会館大ホールで開催された日本会議、日本会議国会議員懇談会共同主催の「今こそ憲法論議を国会から!国民大会」 での講演稿である。


ただ今ご紹介にあずかりました黄です。中国ではなくて、東南アジアの台湾から来た黄でございます。日本国憲法がらみで管見を述べさせていただきたいと存じます。僭越であることは重々承知していますが、外国人の起草した憲法ですから、外国人が意見を申し上げてもよいのではないでしょうか

一 平和主義

日本では平和主義が実にさかんです。平和はいいですね。平和主義は実に高邁な思想です。

ところで、日本では車内での暴行、衆人環視の町中での暴行に知らん顔をしている人がけっこういます。学校内でのいじめを生徒たちも、先生方もみんな知っていながら、知らんふりをし、特に先生方は惨事が発生してから、さも初めてご存じになったかのように、驚きの声を発します。

この人たちは非難されるべきでしょうか。この人たちには悪意はないかもわかりません。いざこざに巻き込まれたくないだけのことです。かれらは平和主義者ですよ。自分が暴行されたときや、いじめられたときだけ抵抗すればよいと思っている、「専守防衛」の信奉者ですよ。国の大方針を個人レベルで実行しているだけのことです。

しかし、世界の国ぐにがみな日本国のように専守防衛の信奉者であれば、イラク共和国に侵攻されたクウェート国は、いまでは存在せずに、イラク共和国の一部になっているはずです。いや、類似の事件が続発し、現在一九二もある国のうち、三分の二ぐらいの数に達する弱小国は消滅するでしょう。平和主義は高邁な思想ですが、しばしば残酷さを発揮することを忘れてはなりません。

二 戦力保持

警察官には国民の安全を守る義務がありますが、武器を携行してはならないということが法律で定められますと、警察官は武器を携行することはできません。違法行為になるからです。こんな法律が存在しているのであれば、これはナンセンスですから法改正が必要です。そうしないかぎり、悪法も法でありますから守らねばなりません。さもなくば、法の尊厳は失われます。国が法の尊厳を無視しますと、国民に法を守れと要求したり、こどもたちに規則を守りなさいと要求してもムダです。その結果、社会は益々悪くなるでしょう。

警官武器不携行の法律が定められたとすれば、きっと、以前に武器を持った警官が不祥事を起こしたことがあったからでありましょう。

このような例え話に、みなさんは納得されますか。納得されないでしょう。熱さにこりて、膾を吹く類いのナンセンスであるからです。

だから、こんな法律がつくられるはずはないとお思いでしょう。ところが実際にはそれに似たようなことがあるのです。しかも単なる法律ではなくて、日本国の法律のさらに上位にある日本国憲法に、それがみられるのです。

元来、国は国の安全を守り、国民の安全を守らねばなりません。守るからには武器は必要です。そして、武器そのものは戦力ですし、軍隊も戦力です。ところが日本国憲法第九条二項は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と厳格に規定しています。どうしてこんな憲法上の発想が出てきたのかといいますと、武器を携行した警察官が不祥事を起こしたのと同じように、軍隊を持っていた日本帝国が戦争を起こしたことがあったからです。

日本人はりっぱですね。反省する高邁な民族性をお持ちであります。そうであるなら、きっと有言実行されているに違いありません。しかし、ここで疑問がわきます。自衛隊の存在はなんでしょうか。日本帝国にはなかった空軍、つまり航空自衛隊さえお持ちなのです。私の評価では、自衛隊の総合火力は戦前の帝国陸海軍よりもさらに強大です。現在の世界各国と比較した場合、どんなに低く評価しても五本指に入るでしょう。

自衛隊は軍隊ではないと当局は弁明されたいでしょうが、自衛隊と軍隊はどう違いますか。自衛隊という名称であるからには、侵略的ではないというのであれば、「軍隊」なら侵略的だというのですか。フィリピン、シンガポールの「軍」と名のつく軍隊はどうでしょうか。

学校当局が携行禁止しているバタフライナイフを所持しているのを見つかった学生が「先生、これはバタフライナイフではなくてナイフです。僕(オレ)は人を傷つけないから、これはナイフであって、バタフライナイフではありません」と弁解すみのと同じです。

以前、日本社会党は自衛隊を合法だが違憲という見解を出し、村山政権の実現を契機に、自衛隊の存在を是認するようになりましたが、憲法の規定自体はそのままのはずです。これでは、憲法に違反する法律の存在をゆるしているのでなければ、まやかしの憲法の存続をゆるすことになると思いますが、いかがでしょう。このままでは、自衛隊員のプライドを傷つけ続けることになります。自衛隊を解散するか、憲法改正、新憲法制定か、そのいずれをとるか、これしかありません。

三 交戦権

交戦権、これは国家の権利ですが、侵略を受けたばあいに武力で抵抗することは、交戦権の部類に入ると思いますし、侵略された国を応援することも交戦権に入ると思います。

一九六〇年代後半のことです。非常にご高名で、かつ広く尊敬されておられる歴史学者に、交戦権がらみで、「ソ連が日本に攻め込んできた場合、どうなさいますか」とご質問したところ、ウームと腕を組まれ、しばらくしてから、「逃げることですな」とお答えになりました。日本国憲法第九条二項の規定、「国の交戦権は、これを認めない」を素直に読みますと、この歴史学者のお答えのようになりましょう。ならば、日本がGNPの一パーセントを防衛予算に注ぐ必要性がありましょうか。いまのままでは日本国憲法がおかしいか、それとも政治がおかしいか、どっちかでしょう。

四 集団的自衛権

自宅に暴漢が押し入り、妻が暴行され、あるいは、こどもが暴行されたとします。「自分で自分を守りなさい」と、屈強な大男である夫、父親が傍観しながらそう叫んだとします。これは正しい反応でしょうか。

町中で暴行されたら、互いに協力しようと親友が提案し、それをいやだと断ったばあいはどうでしょうか。この場合、互いに別の途を通ればよいでしょうが、親友関係は傷つけられるはずです。

このように、個別的自衛権は行使する、つまり自分だけは自分で守るが、集団的自衛権、つまり、利害を共にする国ぐにや同盟国(家族同士、親友同士)で守り合うことを、わが国はやりたくない。これが日本政府の見解です。従来のこのような見解のままでは、日米関係がおかしくなりますし、他の国ぐにからも頼り甲斐がないと思われるでしょう。

自衛権は自衛権であって、それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。自分で自分を守ることは当然自衛でありますし、友邦と協力して守り合うのも自衛です。自分自身は守るが、妻子や親友は守ってやらない。いわんや、弱小の他人なんか目じゃない。こんな人物はごく普通の人間社会では尊敬されないばかりか、相手にされないでしょう。ましてや、友邦にたいして、「俺がやられた場合は頼むぞ。ほかの場合は君だけで対処してくれ。なにしろ命は地球より重いのだ。但し、カネ(思いやり予算)だけははずむからな。」

米国は血を流し、日本はカネだけという図式でございます。ヤーさんの世界なからいざしらず、ごく普通の社会なら、これでは親友関係をつくるのは難しいでしょう。米国を非難するまえに、日本は襟をただすべきでしょう。

自衛権は個別的自衛権と集団的自衛権を包括しています。状況分類の便宜上、説明するのにこれを分けでいるだけのことです。

自衛権は全体として、国家の基本権です。主権国家だと広く公認されていない「事実上の国家」ですから、自衛権はあると解されます。

l 自然法上、国家には自衛権があります。

2 国際法上、すべての国家に自衛権があります。

3 国連憲章は自衛権について、第五十一条において、個別的自衛権と集団的自衛権を国家の固有の権利とみとめています。

4 サンフランシスコ対日平和条約は第五条(C)項において、「連合国としては、日本国が主権国として国連連合憲章第五十一条に掲げる個別的または集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取り極めを自発的に締結できることを承認する」と明記しています。

5 日米間の特殊国際法といえる、一九六〇年の日米安保条約はその前文において、「両国が国際連合憲章に定める個別的または集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」と明記しています。

以上のように日本には集団的自衛権があり、しかも憲法でこれを否定する条項もないのに、日本政府は、憲法上許されないという見解を出しているのです。いい子ぶっているとしかいいようがありません。(防衛庁平成八年度発行の「日本の防衛」所収「憲法第九条の趣旨についての政府見解」の箇所で、日本には自衛権があり、また国際法上、集団的自衛権をも有するとしながら、集団的自衛権の公使は憲法上許されないと記している)ならば、どうして日本は米国とともに、日米安保条約の前文で、日本が集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、かつどうしてかような前提に立つ日米安保条約の存続をゆるすのでしょうか。国もしくは政府がマヤカシをやっておいて、小学生に「ウソをつかないようにしましょう」と教育できましょうか。

五 アジアの平和と安定

日本が存在しているこの世界は、武力紛争のないユートピアではありません。中国のように、侵略で歴史を綾なした国が、自国による侵略については口をぬぐい、もっぱら日本の侵略行為を非難し続け、そしてそれが通用するのが、この世界の現実であります。日本は謝罪外交をやめるべきです。どうしても謝罪したいのであれば、最初にして、最も長く植民地として支配しながらも、いまだに謝罪していないわが台湾に謝罪してください。小国や、過去を追及しない国をないがしろにし、大国や問罪癖のある国にヘイコラする日本のこのイヤラシさ。まさに日本民族は滅び行く民族であると言っても過言ではないでしょう。

それにしても、罵詈雑言をはらいのけ、丸腰にならずに、ここまで自衛能力をつけてきた日本の当局者はじつに賢明であるといわねばなりません。だがこの賢明さは、憲法解釈を悪用したに過ぎないのです。

そもそも、法のもっとも正しい解釈の仕方は条文を素直な文章として読むことであります。この原則に立てば、日本国憲法第九条はすべての戦力と武力行使とを否定しているのであって、ダメダメづくしだといえます。これ以外の解釈はこじつけそのものです。

自衛権を主張する以上、このさい自衛権の一部であるはずの集団自衛権をも主張すべきです。いや、これは主張する必要性もない、自明の理に属するのです。侵略や平和の攪乱に直面して、自国だけで自衛できると思っている国はひとつもありません。あの米国でさえ、同盟国を探し求めているではありませんか。日本の半世紀にわたる平和と安会をもたらせたあの日米安保条約を基本に、日本はいまこそ集団的自衛権を是認し、さらなるアジアの平和に貢献すべきであります。

自衛権の具体的内容についての日本政府の見解は日を追うにつれ、現実的になり、米国とともに日本がアジアの安全保持に関心を懐くようになったようにみうけられます。これから先にかけて、アジアは波瀾が予想されるだけに、自衛隊の持つ隠然たる侵攻抑止力は、アジアの小国群から表向きはともあれ、内心での喝釆を得ているはずです。帝国主義国としては後発の日本が先発の帝国主義諸国と戦って敗れ、そして侵略戦争禁止の傾向(それでも侵略戦争はとだえていませんが)の下で、戦争責任を問われました。いわば、「敗戦」の罪が日本の原罪です。現存する中型以上の国で侵略の歴史を持たない国はないことは、識者の知るところであります。「一億総懺悔」もよいですが、国家、主権国家の基本権を放棄すべきではありません。さもなくば、現行憲法を忠実に遵守して裸になるべきです。

因に、なぜアジアの小国軍が正面きって日本にエールを送らないかと申しますと、日本は人気がないからです。個人としての日本人はともかくとして、日本という国、現下の日本民族の上述のイヤラシさに辟易しているからです。

六 新憲法の制定

憲法は国の最高の法であり、国家の基本法であります。賢明とはいえ、無理な憲法解釈をこねまわすよりも、現実に即した憲法につくりなおすべきだと思います。侵略戦争をやらないと誓約したいのであれば、いくらでもそれを明文化できます。憲法改正、新憲法制定を機に明文化すればいいのです。憲法を改正するか、新憲法を制定するかして、憲法を忠実に遵守するほうが世界から信用されるはずです。憲法という国の基本法をないがしろにしたり、変な解釈でごまかすなら、日本人との契約や条約ごときは、なおさら信用できないと思われるでしょう。

憲法に関して、台湾は日本と大きな共通点を持っています。両者の憲法のいずれも第二次大戦後の占領軍がつくったものです。日本国憲法は、実質的にはマッカーサー司令部が原本をつくり、日本の国会がこれを採択する形をとりました。台湾の憲法は中国を統治していた中国国民党やその他の政党が中国でつくった「中華民国憲法」そのものであり、それが占領地台湾に持ち込まれたのです。いずれも外来者の憲法です。「中華民国憲法」を台湾ではすでに四回改正しましたが、私共は、改正にあきたらず、新憲法制定に努力しています。いま、日本でも新憲法制定の機運が高まっているのを知り、心強く思っています。互いに影響しあうだろうと思うからです。

憲法は国民同士の国造りの約束ごとであり、国民と政府との権利義務の約束ごとであり、なによりも、法令の上に立つ国家基本法です。理想と現実とをかみあわせた、みんなが遵守する国家の最高の法であるべきです。ウソで憲法を固めてはなりません。「解釈」を利用して憲法を曲げてはなりません。


台湾独立建国聯盟ウェブサイト /WUFI Web-site
World United Formosans for Independence

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