| 台湾新生国家理論――継承国家、分裂国家から新生国家へ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 黄昭堂/台湾独立建国聯盟主席 2003年7月8日 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
一 序論
![]() 国家と人間の同じくないところは、国家の場合、非常に長く存在することもありうることだ。国の形が原型を留めないほどに変わったにもかかわらず、国家継承理論を援用して、「継承」の手続きを踏んでいる場合が多いことが一因である。それは、国が存続の必要性に迫られて、国の形を変えることをも意味する。 中華民国は一九一二年にシナ地域(China area)に誕生した国である。このとき、台湾は日本の領土だった。一九四九年に中華民国はいくつかの大陸沿岸諸島を別にして、シナ地域(China area)から完全に追われた。中華民国=中国の歴史はこの年に終焉した。一九一二年から一九四九年まで、計三十八年の寿命だった。 これから、中華民国の台湾時代が始まるが、正確にいえば、金門、馬祖を領土とし、台湾をも統治する時代の始まりである。「金馬国」とも比喩される時代の始まりである。その支配地域のほとんどを占める台湾は、一九五二年のサンフランシスコ対日平和条約発効まで、国際法上、日本の領土だった。日本はこの条約で台湾を放棄し、その結果、台湾の主権はその地の住民の手に移ったと解される。このとき、台湾を占領統治していた中華民国政府は、その後も存続した。 一九九一年の憲法改正により、主権在民の原則が確立され、中華民国の台湾化が、明朗化し、二○○○年の政権党平和移転によって、台湾化が一層強まる。 中華民国の変転を整理すると、次のようになるだろう。→
現在台湾に存在している中華民国は、自由化、民主化を経て、実質的には「台湾中華民国」ともいえるような存在に変わってきている。しかしそれでも、「台湾中華民国」という比喩的名称が示しているように、それは次項で叙述するように、ヌエ的存在である。政府当局から野党に至るまで、主権国家たることを主張しながら、主権の完全行使ができないでいるし、しかも、国会の多数を抑えている野党のごときは、同時に「一つの中国、二つの政府」を主張しているありさまだ。「台湾中華民国」は主権国家であるように見えて、主権国家ではなく、他方、主権国家でないように見えて、かなり高度な主権行使がなされている。歴史のしがらみと政権闘争の複合のなせる業である。 客観的に見て、二〇〇二年現在、台湾の国としての規模はそうとうなものだ。
以上のように、国の規模は上々であり、高度の教育レベル、自由度の高さ、民主化の進展の度合いなどからいえば、国としての規模は大きいといえるし、質的にみても、高レベルな存在である。 三 「台湾中華民国」はヌエ的存在 国際法上、国家承認と政府承認とについて、さまざまな理論と実践の方式があるが、この分野に深入りするつもりはない。ここでは、中国、中華民国、中華人民共和国にまつわる、ほとんど異論のない事柄を挙げるにとどめたい。 1 蒙古独立承認は取り消せない 政府承認は取り消せるが、国家承認を取り消すことはできない。 蒙古は一九四五年十月に人民投票によって独立を決定、宗主国だった当時の中華民国はこれを承認した。承認した以上、もはや国家承認を取り消すことはできない。だが、中華民国は一九五三年にこれを取り消した。当然ながら、一旦、蒙古に国家承認を与えた中華民国のこの取り消し行為は無効であり、蒙古は一九四五年十月以降、一貫して独立国だった1。 「台湾中華民国」当局は、二〇〇二年一月末になってから、蒙古人の入国にあたって、ようやく蒙古国パスポートの使用を認めることにした(国家の黙示的承認にはあたらない)が 、蒙古国は「中華民国」の領土外という表明を未だにしていず、行政院には蒙蔵委員会が依然として残っている。 2 今となっては、中国とは中華人民共和国 台湾に逃げ込んだあとの中華民国と正式の外交関係を持った国は、ピークが一九六八年と一九六九年で、ともに六十七ヵ国だったが、一九七一年の国連追放を機にして激減、最低は米中外交関係樹立(米華断交)の年、一九七八年の二十一ヵ国であった。ここでいくら強調しても強調しすぎることのないことが一つある。「政府承認は取り消せるが、国家承認は取り消せない」ことである。蒋政権の国連追放や中華民国との断交は、中華民国に対する国家承認の取り消しではない。「中国=China」という国があって、それが「中華民国=Republic of China」という国名から「中華人民共和国=People’s Republic of China」に変わった。「中国」という国への国家承認を取り消すのではない。中華民国という名の政府、中華民国政府への政府承認を取り消し、中華人民共和国という名の政府、中華人民共和国政府に承認をスィッチしただけのこと、という解釈による。 「理不尽なことをいうな。『中華民国』は間断なく存在してきたし、いまも厳として存在しているではないか」と憤慨してもしようがない。これが国連の見解であり、中華民国と断交した諸国の見解である。 「ならば、中華人民共和国が一九四九年に成立したにもかかわらず、中華民国は一九七一年まで国連の座にいたではないか。」これについては、国連の政府認定がそれだけ遅れただけのことである。政府承認は高度な政治的判断によるものであり、加盟国は自国の国益に基づいて決定をくだす。そう理解したほうがよい。なにしろ「中国は一つ」、しかもこれは台湾時代に入ってからの中華民国政府が堅持したものだ。国際社会が非難される筋合いではない。 「中国は一つ」、これが国際社会の共通認識になってしまっている現在、台湾中華民国側が、「歴史の中国」、「地理の中国」、「文化の中国」、「政治の中国」とかの分類をし、いわば池をかきまわして濁らせ、「『政治の中国』だけは二つ」と主張しても始まらないのだ。 「台湾のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還する」とカイロ声明(The Cairo Statement、俗に、カイロ宣言ともいう)でいっているのだから、「中華民国」という受け皿を残すほうがよいという見解も当たらない。上述のように、「中華民国」とは「中国」であり、「中国の政府」とはもはや「中華人民共和国の政府」と解釈されている。いわんや、「カイロ声明」云々は、サンフランシスコ対日平和条約の発効以降、もはや意味がない存在になっている。 3 台湾中華民国が領土範囲を曖昧にしている理由 台湾が国家承認を得るには、その独自性、いかなる国からも独立していることを主張せねばならない。 一九九九年七月九日に、時の中華民国(台湾)の李登輝総統がインタビューの形で、中華民国と中華人民共和国は「国と国との関係、少なくとも特殊な国と国との関係である」と表明したにもかかわらず、中華民国(台湾)政府は、中国大陸は「中華民国」の領土ではないという表明をしたことはない。中華民国の国定領域地図は中華人民共和国と蒙古国の領土をも含めたままだし、教科書での中華民国地図もそうだ2。 台湾中華民国の領土は台湾本島とその付属諸島、並びに澎湖群島、それに東沙諸島は明白だが、其の他は曖昧なままである。(金門、馬祖関連の領海問題があり、これは後述。)領土の範囲が確定していないと、その延伸である領海(十二浬)、接続水域と排他的経済水域3 、領空と航空識別圏(領土基線から三十浬)などにグレイゾーンが生ずる。 かような問題点を知ってのうえで、なおかつ曖昧なままにしているのは、次のように考えられる。
台湾中華民国が全領海線を明確にしえない(前注5をみよ)理由はここにある。 領土の確定していない国、これが「台湾中華民国」である。これでは、広汎な国際社会の国家承認が得られるはずはない。 しかも、中華民国政府と中華人民共和国政府はいずれも長年にわたって「中国は一つ」、自分こそはその唯一の正統政府だと主張、両者のかような堅持が長期間にわたったため、「中国は一つ」という固定観念は国際社会に定着してしまった。一九七一年に中華人民共和国政府が、国連での「中華民国=中国」の議席を占めるに至って、この観念は普遍化してしまい、もはや、いかんともしがたい。 台湾(含澎湖群島)は中国固有の領土ではないが、金門と馬祖はもともと台湾の一部ではなく、本来は中国地域の一部である。金門、馬祖の住民には酷な表現だが、台湾中華民国にとっては、防衛不可能の領土である6 。 台湾中華民国にせよ、台湾国にせよ、金門、馬祖を領有したままの独立では、不安定を強いられることになる。金門、馬祖の去就問題については、同地住民の意向を尊重すべきであることは、別の機会で論じているので、ここでは繰り返さない7 。 それに台湾が、本来台湾の一部でない地域を抱えて独立することは、いわば領土拡張主義の具現でもあるので、妥当性を欠く。しかし、台湾が金門、馬祖抜きの新生国家になった場合、過去半世紀以上の長きにわたって、台湾と運命共同体として歩んできた感情ゆえに、台湾人としては、情において忍び得ない。金門、馬祖の相当数の人たちは、すでに台湾に居住の基地を確保していると聞いているが、そうでない人たちには台湾移住の面で、格別の便宜を供与すべきであろう。ともあれ、金門、馬祖をどう扱うか、これも台湾の領土決定の足かせになっている。 四 継承国家論は台湾に有害 台湾が新生国家としての装いをする機会はあった。しかもそれは自身の努力を要することなく、容易に得られるはずのものだった。こんな機会を見過ごして、拒絶反応をすることは、普通は考えられないことだ。ところが、そんなことが実際に起こったのだ。 一九七〇年から七一年にかけ、国連で中国代表権問題が大詰めを迎えつつあった段階において、日米両国は、中華民国が安保理常任理事国の議席を放棄するかわりに、「台湾」の名義で国連総会の一員になることを中華民国政府に提案した。一見奇抜だが、当時では清新な感じを与えた分裂国家論であった。だが、これは時の中華民国総統蒋介石によって峻拒された。蒋介石はあくまで自分こそ「中国」唯一の正統政府だと堅持した。継承国家論である。今日、台湾中華民国の官民が、国連復帰やら、加盟申請やら、はては復帰か、新加盟かの論争を回避しての参与(participation)やら、懸命に成果なき努力に奔命しているのは、その後遺症である。 つまるところ、継承国家論をとり、中国の正統政府を継承する立場をとったことが、失敗の原因である。 シナ地域(China area)における百年来の国家変動いずれも大きな変化だったが、いずれも継承国家の形式をとっている。 一九一二年に中華民国が樹立されたときは、帝制(帝国)から民族武力革命方式で共和制に変ったにもかかわらず、中華民国は大清帝国=Chinaの国際的権利義務をすべて継承した。 一九四九年に中華人民共和国が樹立されたときは、階級武力革命方式で、資本主義独裁体制を打倒して、共産党独裁の人民共和国を造ったにもかかわらず、中華民国=Chinaの国際的権利義務を選択継承する形式で継承した。 中華民国は一九四九年以降、実質的には「金馬国」であって、「中国=China」ではなくなったが、国際法上はまだ日本領土だった台湾に逃げ込みながら、なおかつ東西冷戦を利用し、正統を踏んでいるとして、「中国=China」の正統政府を僭称した。この僭称が西側陣営にとって利用価値があった間だけ存在価値があったが、それに反対する世界潮流には抗しきれなかった。 上記の米日による台湾名義の国連総会メンバー構想を蹴ったのは、大失策だった。正統政府継承論の失敗だったのである。国際政治にも潮時というものがある。あのとき、中華民国の利益からいっても、国連総会に残るやりかたで、分裂国家論に棹差すべきだったであろう。 五 外交関係拡張と国連加盟は重要 国家は国家承認を受けなくても国家たりうる。「事実上の国家(de facto state)」、国際法の叙述でいう「事実上の政府(de facto government)」がありうる所以である。もっとも、法的国家(de jure state)と事実上の国家に截然たる境界線があるわけではない。新生国家とこれを承認した国家との間に法的関係が生まれ、新生国家は国家として、この国と条約締結などの措置がとれるようになる。だから、承認した国にとって、この被承認国たる新生国家は法的国家である。承認してくれた国の数は問題ではない。たった一つの国のみが承認したとしても、この承認した国と、この被承認国は互いに法的国家である。しかし、この新生国家は別の、まだ承認してくれていない国ぐににとっては、せいぜい事実上の国家であるにすぎないのだ。 現在、台湾中華民国と外交関係を持っている国は二十七。この二十七ヵ国にとって、台湾中華民国は法的国家である。一九二ヵ国からこの二十七ヵ国を差し引いた残りの一六五ヵ国にとって、台湾中華民国はせいぜいのところ事実上の国家でしかない。だから、条約すら結べない。すべての大国がこの一六五ヵ国に入っていることが特に痛い。なかには、中華人民共和国のように、台湾中華民国を事実上の国家とも見ずに、未解放の中華人民共和国の一地域でしかないと見ていない国もある8 。 台湾はその規模にもかかわらず、外交関係の範囲はあまりにも狭小である。人はあの満州国(満州帝国)を傀儡よばわりするが、あの満州国でさえ、当時の世界、大国を含む三分の一の数にのぼる国ぐにから国家承認を受けた9 。台湾中華民国の孤立振りがわかろう。 六 台湾カードは中華人民共和国の内政、外交の利器 中華人民共和国は中国共産党の革命によって樹立された。毛沢東は一九三七年の段階では、台湾独立支持だったが、一九四三年のカイロ声明を見て、方向を転換した10 。一九三七年の段階では、日本を打倒することはおぼつかなかったが、一九四三年の段階では連合軍の勝利が現実的になったことから、日和ったわけだ。 ともあれ、中華人民共和国は巨大な国家である。その反面、混合種族としての漢族以外に五十四のエスニック・グループを抱え、ことにチベット、ウイグルはずっと不穏な情勢を孕んでいる。地域の相異と経済格差からくる分離傾向も隠せない。だから、軍事力は対外的意味のほかに、国内治安維持の役割もあるのだ。一旦、台湾を自国領と規定した以上、台湾の独立を容認すれば、国内で連鎖反応を呼びかねない。 建国当時から「血洗台湾」、「台湾解放」のスローガンを掲げてきた手前、振り上げたこぶしを降ろすわけにはいかない。それに、このスローガンは、内部の不満を外部に目を向けさせる転移作用もある。国内統一のための道具でもあるわけだ。 台湾を取れば、台湾という領土と資源(自然、人材、生産、資金)もさることながら、世界に国威を発揚できる。太平島も自動的に入手することになるので、南沙群島をめぐる領有権問題で一段と発言力を増すことになる。 中国大陸と貿易し、かの地に投資する台商に見え隠れする「和平演変」(資本主義制度への移行)の意図を崩して、資本主義革命を未然に防げるし、一人当たりのGNPで大きく水を開けられている台湾を同レベルに引き摺り下ろすことによって、このイヤな相手の姿を人びとの視野から消すことができる。 軍事的には、台湾の戦力を人民解放軍に組み込み、「日帝」、「米帝」に対抗する力を一段と強化することができるようになるし、米国の西太平洋防衛第一列島チェーンを真中で断ち切ることになる。中華人民共和国が海軍国になるには、太平洋への出口が必要であり、バシー海峡は最適である。台湾さえ獲ってしまえば、軍事戦略上、台湾海空軍の脅威を念頭に入れなくてすむことになり、日米との対抗に専念できる。戦略上「不沈空母」といわれてきた台湾を、敵陣営から、自国軍に寝返らす相乗効果が得られるわけだ。 横浜、大阪からバシー海峡、台湾海峡をへて南シナ海、マラッカ海峡、インド洋……へと続く日本の西南航路は、貿易立国の日本にとっての大動脈であり、これがそっくりと中華人民共和国のコントロール下に置かれる。 以上の理由により、中国は台湾への武力侵攻をあきらめないであろう。いわんや、台湾の独立を承認することはありえない。 七 台湾の主権問題は台湾自身の内政に由来 新生国家台湾に向かうにあたって、中華人民共和国の頑なな、高圧姿勢が阻止力になっているが、筆者が特に問題だとしているのは、むしろ台湾自身の姿勢である。 「台湾中華民国」はこれに先行する時代と同様に、例年莫大な国防外交予算を組んでいる。これは「台湾中華民国」が軍事力で国を守り、外交関係を拡大して、国の安全保障を高める決意を具体的の示すものである11。 台湾が独立宣言をすれば一番すっきりする。だが台湾は中華人民共和国の一部ではないのだから、中華人民共和国=中国からの独立を宣言するのはおかしいという見解もある。しかし実は、独立は中華民国体制からの独立、つまり台湾から中華民国体制を除去するのであって、中華人民共和国=中国とは関係がないのである。李登輝時代から「中華民国は主権独立国家である」12 ことが李登輝総統によって、さかんに強調された。これは中華民国と中華人民共和国との間に一線を画し、両者は国と国との関係、もしくは国と国との特殊な関係を際立たせたい意図によるものである。ただ、総統時代の李登輝発言には、しばしば、「中華民国は一九一二年に成立した国である」との蛇足がついているので、分裂国家理論からまったく抜けきれなかった。分裂国家理論とは、一つの国が二つ以上の国に分裂した状況についての理論である。
1 今となっては、分裂国家論は台湾に合わない 分裂国家論の時流に乗り遅れた中華民国であったが、後知恵として、こんな理論もある。「中国は一つであり、中華民国政府が正統政府である。一九四九年に中華人民共和国は中華民国から割って出て、独自の国を造った」というのである。 この理論には一見、それなりの妥当性があるが、一九四九年に中華人民共和国が樹立された当時、中国から追い出された中華民国は台湾を実質支配していたとはいえ、国際法上、台湾はなお日本の領土であった。中華民国政府は中国大陸全領土をほとんど失っていて、いわば、大陸沿岸のいくつかの島々を確保していただけで、支配下領土の幅員、支配下人口の数など、中華人民共和国とはまったく比べ物にはならず、中華民国はむしろ滅亡したといったほうが、実態に即している。かような観点から、この場合、分裂国家理論の適用はあたらない。分裂国家理論の適用は、東西ドイツ、南北朝鮮、南北ベトナムのように、もともと一つだったものが二つに分裂した場合には、妥当である。中華人民共和国と「金馬国(中華民国 )」でいうと、これも一つの状態から二つに分裂したとはいえても、規模的には比べ物にはならないので、適用はないと見るべきである。 陳水扁時代に、「台湾は主権独立国家である」という言い方が、「中華民国は主権独立国家である」という言い方と互換的に、頻繁に使用されるようになり、これはさらに一歩踏み込んだ主張である。陳水扁時代は「台湾中華民国」時代と比喩するゆえんである。この時 になると、制度面での前向き改正が若干見られるが、いずれもマイナーであり、依然として、「分裂国家理論」から脱却していない。 台湾中華民国が、国家の位置付けでドラスチックな政策が取れない理由として、中華人民共和国への刺激を恐れる気持ちがあるのは間違いなかろう。しかし、どういう段階になれば独立台湾が、中華人民共和国の首肯を得ることができるかとなると、これは全く見通しはきかない。いや、前項で示したように、中華人民共和国はその頑なな態度を堅持するだろう。 台湾中華民国が現状を維持したままであっても、中華人民共和国からみれば、これも一種の台湾独立であるから、容認できない。現に、中華人民共和国は二〇〇〇年二月二十一日に発 表した『一個中国的原則與台湾問題』、俗にいう『台湾白書』の末尾で、そう明言している 。 台湾中華民国に対する中華人民共和国の持続的に硬直した態度が、台湾中華民国当局に、法的主権国家への措置をとることを躊躇させている一因である。しかし、みんながあまり触れたくない問題が一つあり、むしろこの問題こそ、台湾もしくは台湾中華民国が正真正銘の独立を躊躇する、もっとも基本的な原因である。 「台湾人としてのナショナル・アイデンティティ」の不足がそれである。 2 台湾人民のエスニック・アイデンティティ もともと、一九四〇年代から六〇年代にかけての、台湾人としての台湾人アイデンティティはそうとうに高かった。それがその後の中国国民党外来政権による中国人意識教育によって、台湾人意識は著しく低下したのである。 現在、人口二二五〇萬にふくれあがっている台湾人民のナショナル・アイデンティティは多様にわたっている。この場合、ナショナル・アイデンティティは、「台湾人としてのアイデンティティ」と「国へのアイデンティティ」に分類できる。 先ず「台湾人としてのアイデンティティ」をみよう。 もともと、台湾のエスニック・グループの分け方は台湾人(第二次大戦終戦時のホーロー人、ハッカ人、原住民)と外省人(戦後、中国から入ってきた人たち)の二分法だったが、エスニック・グループ間の宥和を図るため、なるべくこんな分け方をしないよう、意識的に配慮されてきた。しかしながら、それでも、この二分法は鬱憤晴らしによく使われ、選挙時は特に頻繁である。かようなエスニック・グループ意識が暴力沙汰にならなかったのは幸いであり、それはまた、台湾におけるエスニック・グループ間の対立が穏便化したことをも意味する。現今の分け方は二分法ではなくて、ホーロー、ハッカ、原住民、新住民の四分法に落ち着きつつあるのはその帰結である。 さらに観察すると、教育や社会的影響により、ここ三十年来、エスニック・グループ意識に大きな変化が見られ、エスニック・グループの属性が、出自によらずして、観念が大きく作用するようになってきた。だから、本来、台湾人に分類されたはずの人が、「自分は中国人である」との意識を持ったり、逆に、本来、「外省人」に分類されたはずの人が、「自分は台湾人である」との意識を持ったりする。こうした変化の過程にあるのが、「自分は台湾人であり、中国人でもある」というヌエ的存在だ。そもそも、両者は対立的概念であるので、両方に属するのはありえない。その意味でヌエ的である。また、別の観点から見ると、台湾人は中国人の一部であるという見方になる。つまり、中国人は上位的存在で台湾人は下位的存在である。あたかも日本統治時代における一部台湾人の、「自分たちは台湾人であり、日本人でもある」という非二律背反的認識に類似する。この部分のエスニック・グループ 意識が、解釈上の混迷をもたらすのであるが、今後の更なる分析、研究を期待したい。 二〇〇〇年夏の世論調査によれば、半数前後の台湾人民はこの部類に属する。 他方、単純明確なアイデンティティとして、平均三四パーセントの人たちは台湾人、一〇パーセントは中国人だと自認している13。 3 台湾人民のステート・アイデンティティ こういう「台湾人としてのアイデンティティ」とは別の世論調査、「国へのアイデンティティ」を見よう。 上の世論調査もそうだが、調査項目の設定の仕方、調査機関の属性、調査時期などによって、結論は違ってくるが、一応、目安になる。 二○○二年四月の行政院大陸委員会の世論調査[民衆対当前両岸関係之看法](http://www.mac.gov.tw/mlpolicy/pos/9104a/po9104ch.htm)はこうなっている。 中華人民共和国の提示する「一国両制度」に賛成する者は一〇・四パーセントで、この数字はエスニック・アイデンティティの一〇パーセントと符合する。「中国人である以上、一つの中国の立場に立つのが当然」というのであろうか。 この人たちは、台湾内部における「統一派」といえるかもしれない。そのさい、「たったの一〇パーセント」と捕らえるべきか、それとも「一〇パーセントもいるのか」と捕らえるのかは別として、その存在は台湾の本土化の足かせになっており、台湾独立反対勢力でもある。台湾独立綱領を掲げる民進党が政権を握ったにもかかわらず、独立に向けての措置が遅々として進まず、統一派による撹乱に喘いでいるのは、少数派への配慮がしからしめている一面がある。しかし、政府の配慮というとき、台湾中華民国の「現状維持」が民意の過半数を超えていることがむしろ重要な要因であろう。 上記の「両岸関係的看法」についての民意調査によれば、「現状維持」の民意は七九パーセントに達しているのである14 。そのほか、「直ちに独立」は四・五パーセント、「直ちに統一」は、一・八パーセントという。 その内約がどうであれ、政府が民意に沿う進み方をする限り、現状維持政策をとって、事態の推移を待つということになるだろうか。 「台湾中華民国」が国際社会から主権国家として認めてもらえない最大の原因は、かように実は台湾自身にあるのだ。 八 分裂国家論はダメ、ではどう解決するか 継承国家理論は台湾に害毒を流したことは前に述べた。「特殊の国家関係論」は本来の分裂国家論までには至っていないことも述べた。では、本来の分裂国家論なら、台湾がそれを適用してよいかといえば、そうではない。 本来の分裂国家論の著名な事例はドイツ、ベトナム、朝鮮である。いずれも一つから、完全に二つに分裂した。 ドイツ帝国の場合は、敗戦によって亡国し、国自体が滅亡している。旧本国領土は分割占領され、ある時期を経て、東西両ドイツとして、それぞれの主権国家が樹立された。それでも、亡国という過渡期的な事象を捨象して、分裂国家とされた。 ベトナムは一つの不完全な独立王国が植民地時代、軍事占領時代を経て、解放後、短命の王国が外国勢力によって、南北ベトナムに分裂した。 朝鮮は一つの不完全な独立王国が植民地時代を経て、解放後、外国勢力によって、南北朝鮮に分かれた。 この三つの事例で共通するところは、大小の違いこそあれ、規模はほぼ同等で、その差は顕著でないことだ。だからこそ、分裂国家としての実体を保つことができた。しかし、もう一つの共通点が大事である。分裂は自己意志によったものでなく、他者の意向によったものであるだけに、分裂の必然性が弱かったため、いずれは統合への道をたどることになる。それも、国力の強い方が統合する。ドイツ、ベトナムはそれを実証したし、将来、朝鮮は南朝鮮の主導のもとに統合されるはずである。 金馬国では中華人民共和国と釣り合わず、分裂国家を称するのはおこがましいが、台湾を含めても人口、面積では釣り合わない。元来、台湾は中華人民共和国の一部ではなく、中華民国政権の軍事占領を介して、「一つの中国」紛争に巻き込まれたのであり、それから離脱しえないかぎり、最後は、統合される。 だから、分裂国家の仲間入りは避けるべきだ。 しかし、残念ながら、台湾は中華民国体制に組み込まれており、台湾中華民国の陳水扁政権はこの体制を受け入れている。本来、陳水扁政権の基本支持層は台独派だから、陳政権はそれなりの政治責任を果たすべきである。中華民国体制と台独の理想の間で、ありうるべき政策を模索する義務があるのだ。 その際、台湾の総意形成のためのよすがとして、ここにいろいろなシナリオを掲げてみよう。
以上の項目には軽重の違いこそあれ、採用にあたっての時期的前後関係はない。ここで再度強調したい。エスニック・グループ間の宥和は極めて大事である。現今の国家は、そのほとんどが複数のエスニック・グループによって形成されている。一つのエスニック・グループが一つの国を形成しているケースは十指を越さない。複数のエスニック・グループを抱えている国において、エスニック・グループ間の対立があっても、国に対するアイデンティティの面では一致していれば、この国は存在できる。逆に、国へのナショナル・アイデンティティがなければ、国は存在し難いのである。 今、台湾が求めらているのは台湾へのアイデンティティである。各エスニック・グループがそれぞれのエスニック・グループ・アイデンティティを持つのは当然で、決して悪いことではない。それはむしろ多様な台湾文化の保存にもつながる。しかし、残念ながら、歴史のしがらみに由来する違和感が、依然として残っており、それが台湾人としてのナショナル・アイデンティティの形成の阻力になっている。中華民族は五十幾つのエスニック・グループを無理にくっつけて形成したものである。これができるのであれば、台湾が四つのエスニック・グループでもって、「台湾民族(Taiwanese Nation)」を形成してよいはずである。少なくとも、この四つのエスニック・グループでもって、「台湾国民(Taiwan nation)」意識を形成すべきである。国へのアイデンティティ(state identity)形成への阻力を極小化するため、各々がそれぞれなりに努力せねばならない。 二二五〇萬の台湾人民が、「台湾人としてのナショナル・アイデンティティ」を確立できれば、それは、「台湾という国へのナショナル・アイデンティティ」につながり、台湾の安全確保は万全である。中華人民共和国による脅しは恐れるに足りない。 ナショナル・アイデンティティは、しばしば外部からの衝撃によって醸成される。あれほど中華人民共和国からの武力侵攻を恐れている人びとも、いざ中華人民共和国による武力侵攻に直面すると、急速に台湾ナショナリズムに目覚めるかも知れない。一九九六年のミサイル事件がそのよい事例である。 中華民国体制は台湾に、そして台湾のみに存在している。この中華民国体制が、台湾を中国に結びつけ、そして「中国」という観念を媒体として、現在中国として広汎に認められいる中華人民共和国に結びつけられ、そして、台湾はその武力侵攻の脅威下に置かれている。だから、台湾から中華民国体制を除去せねばならない。 この除去作業は基本的には台湾の内政問題であり、外国の容喙を許さない。台湾内部の共通意思さえ確立できれば、充分にやれることである。台湾人民の総意に基づいたものであれば、まったく問題はないが、この問題にかぎらず、世の中、全体一致はそうあるものではない。三分の二の多数、過半数の同意など、さまざまなケースが考えられるが、ソフト・ランディングを狙うのであれば説得のために時間がかかってもやむをえない。 九 国際社会は新生国家台湾を承認するか 1 現有の外交関係維持国はほぼ離脱しないだろう 現在、台湾中華民国と外交関係を持つ二十七ヵ国のうち、本当の中華民国時代、つまり中国本土に存在していた時代に、外交関係が樹立されたのは二ヵ国だけで、あとの二十五ヵ国は、中華民国が台湾にその本拠地を置くようになってからである。中華民国は一九一二年以来の既存の国であることになっていたので、第二次大戦終戦以前に存在していた国との関係樹立は、国家承認の手続きがなく、外交関係樹立の手続きのみだったと思われる。新生国家との関係樹立に際してのみは、中華民国がこの新生国家に国家承認を与え、かつ相互に外交関係樹立の手続きを踏んだと考えられる。
これら二十七ヵ国のほとんどは、中華民国政府が中国の正統政府だからこそ外交関係を結んだわけではない。台湾にある中華民国の支配地域が、台湾に限られているとの事実を認識したうえで、台湾の存在価値、もしくは経済関係などの理由によって外交関係を結んだのであり、将来台湾が人民の意思で、台湾、台湾国、台湾共和国に国名を変えても外交関係を維持すること必定である。 その場合、新生国家台湾にたいして、改めて国家承認、つまり新生国家への承認付与をするか、それとも外交関係の存続の形をとるかは、手続き上の問題として、相互間の検討を待つことになろうが、使節の信用状変更でも充分である。 もちろん、外交関係保持国のなかには、現状維持のままの台湾中華民国とでさえ、断交する可能性がなきにしにあらず、という国もないわけではない。それを避けるために現今の政府は懸命の努力しているぐらいだから、新生国家台湾と絶対に外交関係を持つとは断定はできない。とはいえ、この国ぐにが、新生国家台湾は嫌だということで、断交することはないだろう。むしろヌエ的性格のままの中華民国、台湾中華民国のほうがあぶない。 次に議論したいのは、むしろ正真正銘の新生国家台湾になった場合に、外交関係樹立国が増えるかどうかである。 2 外交関係の拡大は期待可能 幸いにして、「中華民国(台湾)時代」に入ってから、「漢賊不両立」というゼロサム政策を捨てている。だから、中華人民共和国を承認している国と外交関係を持つのに、中華人民共和国との外交関係を絶つことを要求することはなくなった。二重承認を受け入れるようになったのである。外交関係を求める場合、もっぱら台湾と相手国だけの問題ということになったのだ。相手国が対中関係を考慮するにしても、それは相手国自身の問題であって、台湾自体、「問題なし」である。 中華人民共和国が民主化すれば、台湾政策は穏便化するとの見方があるが、これは一種の希望的観測にすぎない。中華人民共和国の台湾への領土野心は、自由民主の国家体制に変わっても、そのまま持続すると予測されるからである。 中華人民共和国は長い間、第三世界のリーダーを自認、かつ未解放人民の後ろ盾としての立場をとった。その帰結として、国内経済の疲弊にもかかわらず、第三世界を経済援助したり、「解放」の名の下に、諸外国の革命勢力に武器を提供、いわば革命の輸出をしてきた。革命輸出されるのを恐れて、中華人民共和国に外交関係をスイッチした国も少なくなかったが、中華人民共和国が国連安保理の常任理事国になった以上、もう革命輸出はないだろう。革命輸出への恐怖は減少したといえるだろう。 そうとはいえ、中華人民共和国は、社会主義市場経済に移行してからも、外国から経済援助を受けながらも、第三世界への経済援助をしている。いまでは、その国際影響力は、国連安保理常任理事国としての政治力、軍事力と経済力で具現される。大国として、各国との間に築いてきた国家間の絆は無視しえない力になっている。 台湾が新生国家台湾として、諸外国と外交関係の樹立を図る時に、中華人民共和国は阻止に狂奔するはずである。それでも国際社会、特に小国は中華人民共和国に楯突いてまで、新生国家台湾を承認する勇気があるだろうか。これについては、ベトナム戦争時代を想起されたい。あの超大国米国――今の中華人民共和国よりも影響力がはるかに強大――に、いかに多くの国が逆らったか。すべてが大国の意に沿って動くわけではないのである。 中華人民共和国は内部にかずかずの矛盾を抱えており、いつかそれが爆発する。中華人民共和国が混乱期に入ったとき、中国の台湾への理不尽な態度に、世界は今更ながらに目を剥くはずである。 3 新生国家台湾のチャームポイント 中華人民共和国の内部混乱を待たずとも、台湾は外交関係樹立に向けての武器というか、チャームポイントが少なくない。それは、1二二五〇萬という大きな人口が孤立化されている不条理、2自由民主主義体制を実践している国家、3平和愛好国家としての実績、4経済援助にみられる国際貢献度、5貿易など台湾との経済交流でもたらされる相互の利益、6国連憲章、国際人権規約に規定されている人民自決の精神、7台湾の軍事戦略上の価値、8航路の要衝に位置している地理的価値、9台湾が中華人民共和国に奪取されることによって生じる東アジアへの衝撃…などである。多くの国にとって、これらはいずれも考慮の対象になるであろう。 台湾が正真正銘の新生国家になったとき、中華人民共和国と緊密な関係を持つ国ぐには承認しないだろう。しかし、中華人民共和国と疎遠な国ぐには、中華人民共和国と新生国家台湾とを天秤にかけたうえで、新たに新生国家台湾と外交関係を持つ国が現れること必定である。そもそも台湾の孤立化は身の程を知らずに、蒋介石中華民国の代表が一九四九年から一九七一年の長きにわたって、中国代表権を占拠したからであって、台湾の存在が無視されたためではなかった15 。 しかも、あれから三十余年経たあとの台湾自体、その存在感は飛躍的に大きくなっている。隣国とは、戦闘したこともなく、紛争処理はすべて平和的交渉によるものだった。冒頭に示した規模を持つ国台湾が、いつまで国際社会から疎外されねばならないのか、国際社会は疑問視しよう。 蒋介石の大陸ゲリラ活動は別にして、また、蒋経国の「三民主義による中国統一」に見られる「口先反攻大陸」をも別にして、台湾は、ずっと平和を追求してきた。将来、台湾海峡を挟んでの戦争が起こるとすれば、それは中華人民共和国による発動であって、新生国家台湾は防衛以外に考えられない。 しばしば問われることだが、「新生国家台湾が誕生したら、米国は承認するだろうか、日本は承認するだろうか」である。これを称して、世迷い言という。台湾が真の主権国家になる努力をしないで、事前に外国から承認の予約をとるのは本末転倒だ。水面下の交渉ならいざ知らず、外国が「台湾を承認する」と公言するはずはない。事態が発生してから、外国は初めてそれに対処するのだ。もっとも、新生国家台湾の誕生は、予想し得ることなので、諸外国には腹案ができているかも知れないが、事前の公言はありえない。新生国家台湾の誕生が先で、その次が諸外国の悩む番である。 新生国家台湾の誕生までのタイムテーブルはない。それは、明日でもあり得ることだ。 予言めくが、中華人民共和国のミサイルが、台湾に当たったその日に、欲すると、欲せざるとを問わず、台湾は間違いなく変わる。現状維持はこの日で終わる。台湾絶対多数の人民は中華人民共和国からの侵攻に立ち向かうことははっきりしている16 。 受けて立てば、新生国家台湾の誕生だ。 十 新生国家理論の適用 1 国の増加は二十世紀の潮流 二十世紀は国家大量誕生の世紀である。 二十世紀に入った当時、三十七だった独立国の数は、第二次大戦開始前には六十六になった17 。 二十世紀最後の年は一九一ヵ国で、中華民国(台湾)を入れれば一九二ヵ国になる。この間、滅亡した国や、二十世紀に誕生しながらも同世紀内に滅亡した国もあるので、一概にはいえないが、この一世紀の間に一五五ヵ国も増えたことになる。実に五倍増である。 第二次大戦勃発以降の六十年間に限っていえば、単純計算で一二六ヵ国増だ。これは第二次大戦の戦後処理によるアジア・アフリカ植民地の独立、アジア・アフリカ植民地の独立戦争によって勝ち得た独立、太平洋とカリブ海での島嶼独立、ソ連解体に伴うNIS(新独立国)十一ヵ国の誕生が主たる原因である。 東チモールが二十一世紀に入って独立したため、地球全陸地の従属地域は残り僅かであり、独立国ではない主たる「地域(area)」として列挙されるのは、非自治地域のほかカシミール、パレスチナ自治区、台湾、それに中国領ながら特別行政区の香港とマカオなどである。国連は台湾を香港、マカオ並みに遇していることに、留意していただきたい18 。台湾は香港、マカオ並みになってはならない。 独立国として、世界各国と外交関係を持っていながら、財政的な理由によって、在外公館の設置に七転八倒している国はざらにある。ところが、台湾中華民国は、外交関係を持っている国は当然ながら、外交関係のない五十余の国にも九十余の機関を設けている。それだけ必死に外交努力をしているわけだ。 主権国家の国民ではあっても、尊厳を保てない人がいるが、主権国家として認めてもらえない国の国民は、なおさら尊厳を持ち得ない。「オレは外国でちゃーんと尊厳を保っている」というなかれ。それは、消費者(買い物や喜捨)として勝ち得た一面があることを忘れてはならない。 「中華人民共和国の国民になりたくない。そして、広汎な国際社会から承認された主権国家の国民になりたい。」こういう人たちのために、外国への移民帰化の道は残されている。移動の自由は国際人権規約にも規定されているので、これは自由権の享有であって、恥ずかしいことではない。もちろん、別のケースとして、中華人民共和国の国民になりたい者もいるだろう。これも自由権の一種で、各自これを行使できるし、現行法では、財産持ち出しも可能なはずだ。 そのいずれも厭で、あくまで「主権国家としての台湾の国民でありたい」のであれば、そのための方策を模索せねばならない。そこで提案したいのは、「新生国家台湾」に向けて努力することである。 2 継承国家論も分裂国家論も過去のもの すでに、中華民国時代の末期から、自由化、民主化への試みが見られ、中華民国(台湾)時代にそれが開花した。李登輝の中華民国(台湾)時代の末期には、台湾中華民国への移行が見られ、それは今日の台湾中華民国時代の礎になっている。しかし、それでも、この過程は国家継承の部類に入る。いわば中国の影を引きずっているのだ。 台湾中華民国がこの過程において達成された自由化、民主化は、世界から絶賛されているが、それは「一つの中国」が「二つの中国」に分裂しただけのことである。分裂国家理論に頼ったところで、「分裂した片割れ」には、もう一つの「片割れ」の存在を認めない権利は残されている。「片割れ」同士相互の不承認は決して理不尽ではないのだ。換言すれば、中華人民共和国による台湾中華民国への武力行使は「アジア地域の平和を乱す行為」として、非難されるにしても、中華人民共和国には「中国の内政問題」との名目で、かような非難を回避する余地は残されている。その余地をなくすためには、「台湾への武力行使は国際問題である」ことを、はっきりさせねばならない。だからこそ、「新生国家理論」が必要なのだ。 3 いざ、新生国家論を 国家理論に照らしてもわかるように、一つの国は、必ずしも一つのエスニック・グループによってのみ構成されるものではない。むしろ二つ以上が普通である。新生国家台湾には四つのエスニック・グループが存在するが、これは一向に不自然ではないのである。中華人民共和国の場合はさらに多いではないか。 他方、一つのエスニック・グループが二つ以上の国を形成したり、二つ以上の国に分属するのも、実例に事欠かない。 今、二二五〇萬台湾人民全員がチャイニーズであると仮定しても、かれらがシンガポールや台湾で、中華人民共和国とは別の国を造っても、おかしいことことではないのだ。チャイニーズであるかどうかは、意識上のアイデンティティの問題であって、血統の問題ではない。いわんや、漢民族自体が混血であることは実証されているし(呉主恵『漢民族の研究』参照)、中華民族は五十五のエスニック・グループを強引に束ねた架空の存在だ。それに、台湾原住民は南洋系、ホーローとハッカは別支流の南洋系であることが、HLA(ヒト白血球型抗原)調査で判明している19 。 領土について、中華人民共和国側が無理して固有領土論を持ち出しても、台湾は中国の固有の領土ではない。台湾は、台湾原住民の生活の地だったし、強いて言えばオランダ、スペインの固有領土だった。 敗戦国日本を拘束するはずのカイロ、ポツダム宣言、日本の降伏文書などは、いずれもサンフランシスコ対日平和条約に吸収されて無意味になったことは既述の通りであるし、詳しくは拙共著『台湾の法的地位』(東京大学出版会)を参照されたい。 要するに、中国(中華人民共和国)の台湾への武力攻撃の法的根拠を崩壊させるのが大事である。 中華人民共和国は国連加盟国であるので、世界人権宣言、国連憲章の内容規定の面から攻めるとよい。 また、中華人民共和国がやがて加入する予定の、すでに国際法典化した「国際人権規約」は、台湾にとっては、またとない法的側面での武器である。 台湾は、中華民国=中国の継承ではなくて、新生国家としての理論武装をするのである。その際に、本論文「八 分裂国家論はダメ、ではどう解決するか」で提起したシナリオは、実践上の助けになるので、行動に移すとよい。 要は中華人民共和国=中国の対台湾領土要求の根拠を崩し、台湾人主体の立場に立って世界にアピールする、これが台湾にとっての新生国家理論である。 より多くの台湾人民の支持を得るには、すべてのエスニック・グループの宥和を図る。これが大前提である。ý
注 1 一九四五年住民投票で独立決定。中華民国が一九四六年一月五日に外蒙古の独立を承認、国名は蒙古。一九四九年中華人民共和国も承認、このときには国名は蒙古人民共和国。その後、蒙古共和国への改名をへて、一九九二年に国名を蒙古国=State of Mongoliaに変更。 だが、蒋介石父子の中華民国時代から、中華民国は蒙古を自国領とみなす愚を犯し、「台湾中華民国」もまた、過ちを正さない愚を犯した。 2 政府発言を司る行政院新聞局といえば、政府広報センターであり、そのロゴマークは「全国地図」だったが、それは中華人民共和国と蒙古国を含むものであった。 ようやく二○○二年になって、ロゴマークは英文略称の図案に変わったが、これは、マイナーな変更にすぎず、それでも、喝采を浴びた。 二○○二年夏、教育部は爾後、地図作成は教科書会社の判断に任せることを決定した。これは一歩前進とはいえても、政府の逃げ腰を露呈するものである。 3 接続海域=contiguous zoneは領海外縁基線から十二浬、公海海域だが、外国船舶に対して、犯罪防止、鎮圧などができる。 排他的経済水域=経済水域=exclusive economic zoneは領海基線から最大二百海里以内。沿岸国は特定事項について主権的権利と管轄権を持つ。その上部水域と海底、地下にある天然資源の探査、開発、保存、管理などの主権的権利。 山本草二『海洋法』東京・三省堂、一九九四年、六九 〜 七○頁、七八 〜 七九頁。 4 中間線とて明確な線があるわけではない。台湾側が設定した五つの飛行禁止空域R5,R8,R9,R11,R12の西側、米国防部が作成した越境飛行危険線ともいうべき「Asian Coastal Buffer Zone = ACBZ Line」の東側にあるとされる。『中国時報』一九九九年八月五日付け。 5 一九九九年二月十日に行政院は「中華民国第一批領海基線領海及隣接区外界線」を公布したが、金門、馬祖はこれから漏れた。南沙群島は包括的に領土としたが、具体的基線は公表されなかった。 6 金門は一九五八年の中華人民共和国による猛烈な砲撃によく耐えた。後退せずに頑張った守備軍の戦闘精神は絶賛に値する。しかし、この砲撃は、政治的意図によるものであって、中華人民共和国にはこれを取る意思はなかった。この点は冷静に見極めねばならない。 7 黄昭堂《台湾那想那利斯文》台北・前衛出版社、一八九八年、一五五 〜一五七頁。 8 国連の立場は、台湾をa province of Chinaとしている。これに抗議した人への国連職員の返答は、「それは中華民国政府の意向に追随したものだ」ということだった。 9 満州帝国に国家承認を与えた国は計二十ヵ国:日本、サルバドル、ローマ教皇国、エストニア、ドミニカ、イタリー、スペイン(フランコ政権)、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、スロバキヤ、リトアニア、ブルガリア、中華民国(南京政府、汪精衛政権)、ルーマニア、フィンランド、クロアチア、タイ、デンマーク、フィリピン(ラウレル大統領)。 『満州国史各論』三五九 〜 三六八頁。同書は筆者の書庫にあるが、取り出せない状態にあるので、筆者の東京大学国際関係学科での講義録から引用。 10 この頃の中国共産党と中国国民党の政策変化については、謝常彰「中国共産党支持台湾独立與自治的経過」、『台湾公論報』米国、一九九九年五月二十六日、二十九日連載が参考になる。 11 二○○二年度の国防支出は二三○八億元で中央政府歳出予算の一四・三四パーセント、外交支出は二七五億元で、一・七二パーセント。 12 主権国家は独立国であり、独立国は主権国家であるにきまっているはずだが、台湾では主権と独立を連呼し、主権独立国家という傾向がある。 13 主催機関別、相互比較可能で最近の世論調査を下に掲げる。 「民衆対自我認同的看法」二〇〇〇年七月、八月。
14 この七九パーセントの内訳は下記の通りである。
15 当時の国連総会議事録を改めて読むとよい。その一部を筆者は抜粋翻訳している。黄昭堂「聯合国的台湾観」、月刊『台湾青年』東京・台湾独立建国聯盟、一九六七年一月号、七月号連載。 また、『中華民国與聯合国資料彙編――中国代表権』台北・国史舘編、刊、二○○一年、を参照されたい。 16 中華欧亜学会一九九八年八月八日の民意調査によれば、八七パーセントの民衆は「台湾のために戦う」と答えている。二○○二年七月十二日の調査では七五・一パーセントに減少しているが、それでも高い。 「戦いたくない」は九・八パーセントだが、これは「中国人」としてのエスニック・アイデンティティの数に近い。 17 衛藤瀋吉等共著『国際関係論』東京大学出版会、一九八八年、四一頁。 18 『二○○三年版 世界の国一覧表』東京、世界の動き社、二二 〜 二四頁。 なお、この点についての沈建徳博士のホームページやチラシによる警告は実に貴重である。 19 林媽利「従組織抗原推論閩南人及客家人所謂「台湾人」的來源」、雑誌『共和国』台北、十九期、二○○一年五月、一○ 〜一六頁。 林媽利「台湾人は漢民族とは全く異なる南アジア・越族の子孫である」、『Sapio』東京・小学館、二○○一年七月十一日号、一○○ 〜一○一頁は論文要約。 |
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