| 台湾史の一部となる『台湾青年』 |
| 黄文雄/台湾独立建国聯盟 日本本部委員長 2002年7月13日 原載 台湾青年 第500号 停刊記念号 2002年6月5日発行 |
『台湾青年』誌は五〇〇号を以って停刊することとなる。『台湾青年』と同じ誌名を持つものとして、一九二〇年代初期から台湾近代政治運動の啓蒙誌として、後に『台湾民報』にまで発展した政論兼啓蒙思想誌があり、一九三〇年代には台湾キリスト教青年会誌もあった。 一九六〇年四月に創刊された『台湾青年』誌は、先行の先達たちの初志を継承する意味もあったが、より明確にしているのが、台湾の独立建国の啓蒙と運動である。四二年余り、五〇〇号まで発行して休刊を決めることは、その歴史的使命を終えたということよりも、新たな運動への転換とみるべきだと私は考えている。 『台湾青年』が独立運動誌として四〇数年来、台湾の独立建国運動に大きく寄与してきたことは事実である。それは多くの台湾青年が本誌を読み、台湾青年会や台湾独立運動に参加し、現在の台湾政界においても多くの人びとが台湾独立建国聯盟と関係していることからみても、推し量ることができる。 私は一九六四年に台湾青年会(台湾独立建国聯盟日本本部の前身)に加入し、以来学生運動をはじめ、あらゆる運動に参加してきた。私にとって、それは青春の一部ではなく、人生の大部分であるといえる。一九六六年から文筆活動をはじめ、『台湾青年』に政論や論説を書きはじめたのは八〇年代の中期からである。 今日に至るまで、私はなぜ間断なく書き続けてきたのか。自分でもそれほど意識はしていなかったが、『台湾青年』の存在がその原動力の一つであったといえる。 六〇代の後半からは、私は一人の台湾人として、共通の歴史課題を思索し続けている。二〇世紀の台湾人最大の課題は二つあり、一つはいかにして奪われた主体性を再建するか、そしてもう一つは後進性の超克であったと考えている。 この二つの課題は二〇世紀中に、完全ではないがほぼ克服されたのではないか、と私は思う。それは台湾人全体の努力にもよるものであるが、私はいくつかの時代背景の変化があったと考えている。国連からの中華民国政府の追放をきっかけとした蒋政権の終焉、そして台湾は世界で四〇番目の人口を持つ国となり、二〇番目以内のGDP規模をもたらした経済成長がその背後にあり、さらに二回にわたる総統の直接選挙による政権の平和移行と民主政治の成熟がある。 二十一世紀を迎え、台湾人は今もなお多くの課題を抱えている。半世紀以上にわたる中国の脅威は、以前にも増して強く台湾にのしかかっている。台湾に対して千回以上も繰り返されてきた「絶対に台湾に対する武力行使は放棄しない」という恫喝、そして「一つの中国の原則」を認めない限り対話は無い、という中国の硬直化した台湾併合の野望はその象徴だ。 国内的には、台湾の各エスニック・グループ(族群)において文化的、社会的、民族的、国家的アイデンティティはなおも確立されておらず、そこには台湾の内的な潜在危機が存在しいてる。様々な歴史的理由もあろうが、それは台湾の教育とマスメディアが反台湾人の少数勢力に握られているからである。 台湾はすでに独立しているという主張が最近強くなってきているが、近代国家としての条件は、OECDに入れるほどの経済的条件まで揃えているとはいえ、主権国家としては不完全である。それが台湾人のアイデンティティ未確立の一つの理由にもなっている。 『台湾青年』は五〇〇号を以ってその台湾独立建国の歴史的な使命を達成した、と私は思っていない。創刊以来四十二年余、台湾の歴史、台湾の現状、台湾の未来に多くの研究や論説、提言を行ない、戦後の台湾史と共に歩み、影響を与えてきたことは確かだ。 しかし、『台湾青年』を乗り越え、これに替わるメディアにおいて、台湾の現在と未来により多くの提言と活躍の場を得ることが、これからの課題であると痛感している。 |
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