| 『台湾青年』は私達の精神的支柱だった/b> |
| 何康美/元台湾独立建国聯盟欧州本部主席 2002年7月21日 原載 台湾青年 第500号 停刊記念号 2002年6月5日発行 |
台南で女子高校を卒業した私は、一九六一年三月、日本の上智大学に留学しました。そして先輩のところで、初めて『台湾青年』に出会ったのです。私はまだ日本語が分からなかったので、少し先輩に翻訳してもらい、『台湾青年』が政府を大胆に批判する、とても恐ろしい雑誌であることを知りました。 国民党独裁政権下で徹底した中国式教育を受けて、高等学校を卒業したばかりの私には、これは絶対に許すことのできない非愛国的な雑誌だ、としか思えませんでした。ところが、先輩とその友人たちは集まるたびに、『台湾青年』に載っている論文等を材料にして、いかにも楽しそうに“国家の大事”を熱烈に討論しているのです。そのような光景を見て、私はすっかり失望してしまいました。 一九六二年の末に私はアメリカへ渡り、ロサンゼルスで生活するようになりましたが、そこでまた『台湾青年』に出会いました。ここでも東京の時と同じように、先輩たちが『台湾青年』の論文をテーマに興奮しながら議論していました。私は彼らの論議に納得できませんでしたが、この小さな雑誌がどうしてそんな“魔力”を持っているのか不思議でした。 一九六五年に私はヨーロッパに渡り、ベルギーの大学に入学しました。当時の西欧では大学や知識人を中心に、既成の社会制度に対する批判が強く、改革を要求する声が高まっていました。その影響を受けて、私は初めて生まれ故郷に関心を持つようになり、もっと台湾のことを知りたいと思ったのです。すると、そこへまた登場したのが『台湾青年』でした。それで、日本人のクラスメートに翻訳を手伝ってもらって、『台湾青年』を読みました。その頃になると、アメリカやカナダなどでも台湾人留学生が中文の刊行物を出すようになっていました。私たち西欧の台湾人留学生たちも連絡を取り合い、ヨーロッパで初めての台湾人の雑誌『台湾郷〓』を発行して、世界各地の台湾人と交流しました。 そこへ『台湾青年』が、今度は中文版になって登場しました。それからは毎月、『台湾青年』が届くのを待ちこがれるようになりました。『台湾青年』は、われわれの精神的な支えになり、台湾を愛し、台湾の将来を考える理論的基礎を与えてくれました。台湾外の世界各地に住む台湾人は、『台湾青年』を初めとする台湾人の刊行物を通じて、コミュニケーションを深めて行ったのです。そして一九七〇年には、遂に世界台湾独立聯盟が結成されて、われわれの組織はその欧州本部になったのです。 『台湾青年』が台湾を認識するチャンスを与えてくれたことに、私たちは心から感謝しています。私の台湾独立への信念は次第に堅固なものとなり、私は台湾独立運動に参加し、彼に台湾独立建国聯盟欧州本部の主席を務めることになったのです。親愛なる尊敬する同志たちと共に、台湾の民主化のさらなる前進と台湾を世界に承認される完全な独立国家とするために、楽観し自信を持って頑張りましょう。 『台湾青年』のスタッフの皆様、本当に御苦労様でした。深く深く感謝致します。 中文より謝佳玲訳 |
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