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停刊を痛惜し、功績を評価する
若葉 正義/台湾研究所所長  2002年8月5日

原載 台湾青年 第500号 停刊記念号 2002年6月5日発行


『台湾青年』停刊の予告が入ってきた。それは私の予想したものではなかった。なんとなれば、停刊の趣旨説明に『台湾青年』はほぼ任務を達成したとあるが、私は必ずしも一〇〇%同意しているわけではない。というのは、『台湾青年』の究極の目標は「台湾共和国」の建設にあって、「革命未だ成らず」ということになり、公告のいう如く、一応の目的達成ということになるわけだ。

『台湾青年』は、日本に数ある日本語の台湾関係誌のなかでは、台湾人の生の意見や主張が聞ける独特のものであった。台湾の内外情勢は戦後大きく変化しているが、これからの道はさらに困難であろう。それは国際的要素が強まってくるからだ。台湾問題の最も重要なカギを握るものは、いうまでもなく米国だが、あるいは日本もサシミのツマぐらいの価値があるかも知れない。陳水扁政権も対日工作の重要性を強調している。その意味からは停刊は残念だ。

しかし、宗像編集長が停刊の理由の一つに後継者の不在をあげたことは理解できる。私も一九七一年から『台湾総覧』(年鑑)を発行しているのだが、過去十年たっても後継者は見つかっていない。ここは快く『台湾青年』の停刊を理解し、その功績を讃えよう。四十二年も大変ご苦労さまでした。

『台湾青年』は一九六〇年四月創刊とのことだが、そのころ私は毎日新聞台北特派員として、蒋介石体制の独裁、非民主を批判して、しばしば国府当局の注目を受けたり、また雷震氏と親しくなって、雷震氏をリーダーとする「中国民主党」の設立の動きに興味を抱き、本・外省人の接近に一役買ったりもした。同年九月四日帰国予定日に、雷震氏は無実の罪をかぶせられて、軍事裁判で十年の実刑判決に処せられた。

帰国して間もなく、当時『台湾青年』の代表格だった王育徳氏と知合った。王育徳氏は学者で温厚な性格だったが、意見や批評にはきびしかった。お蔭で啓発されるところが多かった。

いつの頃だったか、王育徳氏と同人数十人が、「台湾人元日本兵の弔慰金」の問題でデモを決行した。私も参加して新宿の伊勢丹、三越付近で、元日本兵との差別解消を要求する街頭演説を行なった。その参加者の写真が朝日新聞に掲載され、早速「亜東関係協会駐日代表処」(台北駐日経済文化代表処の前身)の新聞組長から抗議の電話が来た。私は「この件は台湾にとって悪くないはずだが――」と切返したところ、同組長は「そのこと自体は悪いことではない。我々も感謝する。しかし、問題は台湾青年社が音頭をとっていることだ」とのことであった。今ではちょっと想像つかぬ話であろう。このように台湾の情勢は急変化している。その劇変に『台湾青年』は大きな功績をあげているのだ。


台湾独立建国聯盟ウェブサイト /WUFI Web-site
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