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素顔の『台湾青年』
王明理/王育徳次女  2002年7月31日

原載 台湾青年 第500号 停刊記念号 2002年6月5日発行


我が家で『台湾青年社』が生まれたのは私が六歳の頃、もの心つきはじめた時期と一致している。威勢のよいハンサムな若者達が頻繁に家に来るようになり、いつも玄関には大きな靴が並び、父の部屋からは議論する声が聞こえ、この後、家族も交えて賑やかに食卓を囲むのだった。

雑誌『台湾青年』が発刊された当時は居間で発送作業も行われた。私も切手貼りや『台湾青年社』というゴム印を押すのを手伝わせてもらった。その発送作業が終わらなければ、布団も敷けないような状態だったが、それでも、私はそういう環境を一度も嫌だと思ったことはなかった。食事はいつもなごやかで楽しく、父や母が快活で生き生きしているのも嬉しかった。

『台湾青年』という名は、幼い私にとっては、雑誌の名前であるというより、父と家に来る青年達そのものを意味していた。

台湾独立聯盟が、たゆまず台湾独立運動を推進してきた革命団体だと聞けば、メンバーを◆強面な厳しい革命家だと想像する人も多いかもしれない。しかし、不正と戦う挫けぬ闘志を持ちながらも、素顔の〈台湾青年〉達は、優しくて明るい人達である。私は本を買ってもらったり、小さなブローチをもらったり、勉強を教えてもらったり、人生の節目ごとにアドバイスしてもらったりして、いつも可愛がってもらってきた。彼らは父が亡くなったあとも、変わらずに母や私を見守ってくれている。

父はよく「独立聯盟の連中は(うちを除いて)みな夫婦仲がいい」と自慢していた。忘年会、街頭署名活動、記念集会などには、夫人同伴で来る。その夫人達がみな揃って気立てがよく、先の見えない政治運動に没頭している夫に文句も言わず、陰で支え、それを誇りに思っているような女性ばかりだった。信念をもっているため、世の中の夫婦とは一味ちがった信頼関係をもっていたのだと思う。

メンバーに共通したこの温かい心、家族への思いやりが、『台湾青年』が四十二年間も続いてきた理由の一つであろう。革命を目指す雑誌が長年続いてきたというのは「革命いまだ成らず」の証拠のようで、あまり喜ばしいことではないのかもしれないが、古今東西、こういう政治運動が利己的な活動家のために空中分解したり、仲間割れを起こしたりして、消滅した例のほうが多いことを考えれば、この長年に亘る活動の持続力は誇ってよいものだと思う。台湾独立運動は台湾のためであり、少しも自分達の利益のためではなかった。家族を愛し、仲間を大事にすることができるメンバーであったからこそ、台湾のために戦い続けてこられたのである。

暖かい太陽はついには北風に打ち克つ。長年の夢「台湾は台湾人のもの」=「台湾人の国」が実現する日は、すぐそこまで来ている『台湾青年』の停刊は、その日が近い証拠であると信じている。


台湾独立建国聯盟ウェブサイト /WUFI Web-site
World United Formosans for Independence

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