| なぜ今、『台湾青年』をやめるのか? |
| 宗像 隆幸/『台湾青年』編集長 2002年6月6日 |
『台湾青年』が近く停刊になる、という話を聞いた何人かの読者から、いろいろな意見が寄せられた。 なぜ今、『台湾青年』をやめるのか?日中国交正常化の頃から、日本のマスコミのほとんどは、長年にわたって台湾報道をタブー視した。あの時代、『台湾青年』は台湾のことを知るのに最も良い情報源だった。台湾の民主化が始まった十年あまり前から、日本のマスコミの台湾報道も少しづつ増えてきた。それでも、台湾に支局を置いている日本のマスコミは産経新聞だけだったが、数年前から多くの新聞社やテレビ局が台湾に支局を置くようになり、それまでの空白を埋めるかのように、台湾報道がどっと増えて、一種の台湾ブームといってよい現象さえ起きている。しかし、それらの報道は玉石混淆で、矛盾する内容のものも多い。そういう時、『台湾青年』が良い判断の拠り所となった。というような『台湾青年』の停刊を惜しむ愛情に満ちた声である。 かつてはあれほど密接な日台関係だったのに、戦後の日本にとって、台湾は近くて遠い国になった。ほんの数年前まで、親台湾派を自認している人物さえ、台湾に行って蒋介石を称讃し、台湾人の顰蹙を買う例などが少なくなかった。一九四七年の二・二八事件で蒋政権に殺された台湾人は、三万人に及ぶと言われている。その後も、何万人もの台湾人が政治犯として投獄され、死刑に処された者も少なくなかった。台湾人にとって、蒋介石や蒋政権を批判することは、命にかかわることだったのである。蒋政権の特務機関は、「例え百人の無辜の者を逮捕しようと、一人の政治犯も見逃してはならない」と叱咤され、特務たちは政治犯狩りに精出した。実際に蒋政権を批判したり反抗的であったかは、あまり関係がない。絶えず「政治犯」を逮捕することで、台湾人に恐怖心を植えつけて、反抗を未然に防ぐことが目的だったからである。そのような現実を認識している台湾人であれば、蒋介石を忌み嫌いこそすれ、尊敬するはずがなかった。しかし、台湾人は沈黙を強いられていたために、しばしば訪台している「親台湾派」の日本人さえ、台湾の現実を認識できなかったのである。 そのような台湾内部の台湾人に代わって、台湾人の真の声を伝えたのは、海外に出た台湾人、特に台湾独立運動家であった。だから、台湾独立運動の出版物は、外国人に台湾の現実を知らせることも一つの任務とした。『台湾青年』も同じであるが、『台湾青年』にとって、それは主たる任務ではなかった。『台湾青年』は、台湾独立建国聯盟の機関誌であり、台湾独立を推進することが、主たる使命だったからだ。今回、本聯盟が『台湾青年』の停刊を決定したのは、この使命をほぼ達成したと判断したからである。 台湾独立運動の機関誌としての『台湾青年』の任務 一九六〇年二月二十八日、日本に留学していた台湾人が、台湾独立運動の組織として台湾青年社を結成し、四月に『台湾青年』を創刊した。当初は隔月刊であった。もともと台湾とは縁もゆかりもなかった日本人の私が、『台湾青年』にかかわるようになったのは、台湾青年社に参加した友人の台湾人留学生に手伝いを頼まれたことがきっかけである。一九六一年八月発行の『台湾青年』第九号から、私は編集を手伝うようになり、この号から『台湾青年』は月刊になった。 当時、台湾人の男性は大学か専門学校を卒業して兵役を終えた上に留学試験に合格しなければ、外国に留学することは許されなかった。それでも彼らは、競って留学した。学問のためというより、蒋政権の恐怖政治から逃れたいという気持が強く、最初から帰国を断念している者が少なくなかった。事実上の政治亡命である。留学資格が厳しかったので、一般の国の留学生に較べて台湾人留学生は年齢が高く、彼らは日本統治下で少年時代を過ごしたために、日本語のできる者が多かった。台湾青年社と前後してアメリカ、ヨーロッパ、カナダでも台湾人留学生が台湾独立運動を組織した。それらの組織を通じて、『台湾青年』は欧米の台湾人留学生にも配布されたのである。まず彼らに、台湾独立の基本的な理念と思想を伝えることが、『台湾青年』の主要な任務であった。それらの留学生を通じて、台湾独立の思想が台湾に広まることを期待したのである。 台湾では小学生から大学生まで、徹底的に中華思想が教育されていた。台湾人も中国人であって台湾は偉大な中国の一部である、という思想が繰り返し教え込まれたのだ。そこで、《台湾人は、台湾人であって、中国人ではない。台湾は中国の一部ではなく、台湾人は台湾に自分たち自身の国家を建設する権利を持っている。》といった基本的な理念と思想の宣伝から始めなくてはならなかった。 当時、台湾の独立とは何からの独立か、いう問題が提起されたことを記憶している。「中国からの独立」という意見もあった。あの頃はまだ、国連において中国(チャイナ)というのは、中華人民共和国のことではなく、中華民国のことであった。中国を代表する正統政府として、中華民国が国連安全保障理事会の五常任理事国の一つだったからである。しかし、これは、朝鮮戦争で中華人民共和国と戦った米国人の反中国感情を背景とし、米国が中国封じ込め政策の一環として国連で維持している虚構であり、中国とは中華人民共和国である、というのがわれわれの見解であった。中華人民共和国は、台湾の??土といえども統治したことはなく、現に統治していないのだから、台湾の独立が中国からの独立ということはありえない。台湾にとって中国は一外国に過ぎないことを明確に表現し、中国の侵略から台湾を防衛する決意を示すために、われわれは「中国の台湾侵略反対」を一つのスローガンとして採択した。 「蒋政権からの独立」という意見もあったが、独裁者が蒋一族から他の人物に代っても、台湾の体制が変わらなくては意味がない。その体制とは、中華民国は中国の正統政府であるという虚構の下で、蒋政権と共に台湾へ渡来したチャイニーズが台湾人を力で支配している政治構造であった。われわれは、これを「中華民国体制」と名付け、台湾の独立を中華民国体制からの独立と定義し、「中華民国体制打倒」をメイン・スローガンとしたのである。 時代の変化によって、当面の目標は変わり、それに従って戦術も変化する。しかし、台湾独立の基本的な目的と理念は変わりようがない。今年の二月十一日、来日した黄昭堂・台湾独立建国聯盟主席は、東京における講演でこう語った。 「台湾独立運動とは何か。それは、台湾から“中華民国体制”を取り除き、“台湾国体制”に移行することを目指す運動である。もちろん、台湾に野心を持つ中華人民共和国による武力侵攻に抵抗する。これが全てです。」 これが、われわれの不変の目的と理念なのである。この目的を実現するために、世界各地の台湾人留学生を主要な対象として、独立運動の思想を広めた。台湾において、チャイニーズは約十三パーセントを占める少数者にすぎず、台湾人は約八十七%で圧倒的多数を占めているのだから、この思想が台湾で広まれば、台湾の独立はかならず実現できると信じたのである。 年月の移り変わりと共に、日本語を解せぬ台湾人留学生が急増した。そこで、『台湾青年』は第七十一号(一九六六年十月号)から中文誌とし、日文版の月刊『台湾』を創刊した。中文版としたことで、『台湾青年』は世界各地の台湾人留学生により広く読まれることになり、台湾独立運動組織の統合にも役立った。そして、第九十号(一九六八年五月号)から『台湾青年』は、日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパの台湾独立運動組織の共同機関誌となった。 『台湾青年』第百十一号(一九七〇年二月号)「台湾独立聯盟成立・彭明敏博士台湾脱出特集号」は、日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパの独立運動組織が統合して台湾独立聯盟が成立した事と、蒋政権に軟禁されていた彭明敏博士(一九九六年の第一回総統直接選挙における民進党の公認候補)の台湾脱出成功を公表した。この時から『台湾青年』は、台湾独立聯盟(一九八七年に台湾独立建国聯盟と改称)の共同機関誌になったのである。後に台湾独立聯盟米国本部が中文版の機関誌『台独季刊』を発行するようになったので、『台湾青年』は第百五十号(一九七三年四月号)から日文誌に戻し、重要な論文は中文に翻訳して、『台独季刊』に掲載した。 『台湾青年』はほぼ任務を達成した われわれの期待どおり、台湾独立の思想は次第に台湾へ浸透して行った。七、八年前のことになると思うが、台湾で開かれたある会合で、現在は政府与党・民主進歩党の主席をつとめている謝長廷氏が、「私は京都大学に留学していた時、『台湾青年』を読んで政治に対する目を開かれた。独立運動に参加すると帰国できなくなるので参加しなかったが、台湾に帰って政治活動に従事しようと決意した。」と語ったことがある。欧米や日本で、多くの台湾人留学生が台湾独立の思想に影響されて、それを台湾に持ち帰ったはずである。 蒋経国時代の末期になると、台湾人の社会的力が強まって、もはや恐怖政治(白色テロ)だけで台湾人を押さえ込むことは不可能となり、公然と民主化運動が展開されるようになった。一九八八年に蒋経国が死去し、台湾人の李登輝副総統が総統に昇格すると、急速に民主化が進展する。蒋政権と共に台湾に渡ってきて改選されることのなかった「万年議員」制度が廃止されて、一九九一年には国民大会が全面改選され、翌年には立法院の総選挙が行われた。一九九六年には遂に、国家元首である総統も国民の直接選挙で選出された。少数派のチャイニーズが多数派の台湾人を力で支配した中華民国体制の政治構造は、完全に崩壊したのである。台湾独立運動の基本目的のうちでまだ残っているのは、「中華民国は中国の正統政府である」という虚構の残骸だけである。今では台湾の与党も野党も、「正統政府論」は否定しているが、今なお中華民国の地図に中国大陸が含まれているように、台湾を中国の一部とする虚構が残存しているのだ。この領土主権の虚構を廃棄する法的措置を行って、台湾が中国とは別個の国家であることを明確にし、さらに中華(チャイナ)を付した国名を台湾共和・u檮曹ノ改めれば、名実共に台湾の独立は完成することになる。これは、台湾でしかできないことであって、海外の台湾独立運動の役割ではない。台湾独立を綱領に掲げる民進党が、すでに台湾の政権党となり、より急進独立派の台聯が友党として民進党を補佐している。国名を中華民国から台湾共和国に変える「正名運動」も展開されており、台湾が名実ともに完全な独立国となる日が遠くないであろう。 以上のような理由で、私は『台湾青年』の停刊を提案したのである。この提案は台湾独立建国聯盟日本本部で可決され、聯盟世界中央委員会の承認を得た。 もちろん、われわれは、台湾が完全な独立国家となって国際社会の承認を得る日まで、台湾独立運動を完遂する決意である。 長年にわたって『台湾青年』を御愛顧、御支援下さった読者に心より御礼を申し上げます。今後とも、われわれの運動を御支援賜わりますよう、お願い致す次第であります。 |
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World United Formosans for Independence
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