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停刊は勇気と知恵を必要とする決断
陳重光/元台湾独立建国聯盟米国本部主席 前基隆市副市長 筆名・陳南天  2002年7月19日

原載 台湾青年 第500号 停刊記念号 2002年6月5日発行


私は一九六三年に日本へ赴き、東京で高校(東京華僑学校)に入学し、早稲田大学を卒業するまで七年間を東京で過ごした。すでに高校時代に『台湾青年』に接していたが、大学で台湾稲門会(同学会)などの活動を通じて、東京の台湾独立聯盟のメンバーたちと親しくなった。

一九七〇年に渡米してすぐ台湾独立建国聯盟に加盟し、そのあとコロンビア大学大学院に入学した。米国の台湾独立運動のリーダーたちの多くも、直接的間接的に『台湾青年』の思想的影響を強く受けていたし、聯盟のアメリカ本部と日本本部の関係も緊密だったから、私は双方のパイプ役として、しばしば米日間を往来した。そのような関係で、黄昭堂さんを初めとする日本本部の幹部たちと親交を結ぶことになった。八十年代後半、民進党結成の前頃から、聯盟と台湾の反体制派リーダーたちの協力関係が緊密化し、しばしば日本が双方の接触の舞台となった。

その頃、宗像隆幸さんが聯盟日本本部と同じビルに転居したこともあり、そこが私の東京における活動拠点になった。だから、宗像さん夫婦のことは良く知っている。宗像さんは『台湾青年』の編集長であると同時に、事実上、日本本部の事務局長を兼務しており、大変忙しそうだったが、奥さんも喜んで彼に協力していた。

『台湾青年』が五〇〇号も続いたこと自体、驚異的なことであるが、それを停刊にすることも、勇気と知恵を必要とする決断であったと思う。台湾独立運動の戦場は、すでに台湾へ移っている。当然、それに応じて直接、台湾に働きかける方向に、戦略も転換しなければならない。日本の人びとに、めまぐるしく変化する台湾の実情を知ってもらうための広報活動も大事であるが、その面では、インターネットなどを活用することによって、『台湾青年』の穴埋めは可能であろう。

『台湾青年』は、十分に任務を果たしたと思う。故王育徳先生を初めとして、黄昭堂主席、孫明海さん、宗像さんなど、四十二年間も『台湾青年』を発行し続けるために、力を尽くしてきた人びとに、心より感謝と敬意を表します。


台湾独立建国聯盟ウェブサイト /WUFI Web-site
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