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南米でも『台湾青年』が運動の指針に
周叔夜/元台湾独立建国聯盟南米本部主席  2002年7月22日

原載 台湾青年 第500号 停刊記念号 2002年6月5日発行


一九六二年二月、ブラジルに渡る途次で立ち寄った日本で、初めて黄永純さんに『台湾青年』を見せてもらいました。自分の国のことでありながら、当時はまだ台湾問題を真剣に考えたことのなかった私にとって、それは大変なショックでした。しかし、その頃の『台湾青年』は、まだ台湾独立を強調することより、蒋政権の不合理な政策を批判することに重点を置いているようでした。

ブラジルに着くや生活に追われて、台湾のことを顧みる余裕はなく、『台湾青年』のことも殆ど忘れていました。一九六五年に移民として台湾からブラジルに来た友人が、日本から『台湾青年』を持ってきてくれました。生活もだいぶ落ち着いてきていたので、私は幾人かの台湾人を集めて台湾の問題を討論するようになりました。そのとき論議のテーマになったのは、殆ど『台湾青年』に書かれていることでした。そのような過程を経て、われわれのグループは、一九六七年に全米台湾独立聯盟の支部となり、一九七四年には台湾独立聯盟の南米本部になりました。

一九七〇年代、われわれは台湾独立の基本的な理念や思想を『台湾青年』から学んで、ブラジルでの台湾独立運動に決定的な方向性と力を与えることができました。特に「台湾の独立とは何からの独立か」といった問題の解答を『台湾青年』から学んだことを、今でもはっきりと記憶しています。『台湾青年』に導かれて、われわれの台湾独立運動は始まったと言ってもよいでしょう。

一九八〇年代には、基本理念が実際の行動に結び付くようになりました。そうなっても、台湾内部の情勢判断は殆ど『台湾青年』に依存していました。ときどき『台湾青年』の文章をポルトガル語に翻訳してサンパウロなどの新聞に送りましたが、たまにそれらが新聞に掲載されると、皆で喜びました。

台湾の内外で協力して推進した台湾の民主化運動が、一九九〇年代に実を結んで、外来政権による台湾支配体制は崩壊し、独裁政権に終止符が打たれました。

あと残っている問題は、自由で民主的な独立国家・台湾を、世界に公認させることだけです。この問題は、台湾を主戦場としなければ、解決できません。『台湾青年』の停刊は残念で淋しく感じますが、来るべき時が来たのだと受けとめています。四十二年間も頑張ってきた『台湾青年』は、台湾が自由で民主的な国家になった現実からも、十分に報いられたのだと思います。台湾の国民と共に力を合わせて、台湾が世界に公認される完全な独立国家になるまで戦い抜きましょう。


台湾独立建国聯盟ウェブサイト /WUFI Web-site
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