| 専制体制は『台湾青年』等の自由主義思想を毒蛇か猛獣のように恐れた |
| 鄭欽仁/元台湾教授協会会長・台湾大学名誉教授・文学博士 2002年8月2日 原載 台湾青年 第500号 停刊記念号 2002年6月5日発行 |
突然、『台湾青年』が五〇〇号を以て停刊になると聞き、大変残念で胸がつぶれる感じである。どうしてこのような気持になったのか、にわかには答えを出せないが、おそらく『台湾青年』はあの苦難の歳月を私達と一緒に歩んできたからであろう。 一九六八年九月三日から一九七三年九月二〇日まで、私は台湾大学講師の身分のままで、東京大学の大学院に留学した。自分の専門領域の理論的基礎を確立したいと思ったからだけではなく、当時の国際情勢を見極めて、自分の思想と行動の基準にしたいと考えたからである。 あの時代、蒋介石政権は厳重な文化的鎖国政策を取り、台湾国内のあらゆるメディアと宣伝機構を厳しく統制していた。台湾にいる人々がそれらのメディアや宣伝機構から受け取る情報は、まるでマジックミラーに写し出された映像のように歪められていた。時として人民は全く無知であり、後になって真相を知ったとしても後の祭りで、手の打ちようがなかった。時に正しい情報が入ってきたとしても、それは時間的にずれていたため、人民は全体の情勢を掌握する事が困難で、蒋政権に異議申し立てを行ったこともあるが、その時はすでに、彼らは異議を申し立てた人々を鎮圧する準備を整えていた。マスメディアが発達していない時代、蒋政権の愚民政策はかなり統治効果を発揮していたのだ。そのような時代だったから、海外留学生にとって、台湾に関する国際情勢を理解する上で、『台湾青年』は非常に重要な役割を果たしていたのである。当然、日本に居住していた台湾人に対して、『台湾青年』は大きな啓蒙作用を及ぼした。台湾にいて何が起こったのか理解できなかった出来事も、『台湾青年』でその真相を知る事が出来た。 私が住んでいた東京のアパートにもう一人、台湾人の留学生がいた。台湾の国営企業から派遣された公務員であった。彼は国の事には全く無関心で、女性と遊ぶ事にしか興味を示さなかったが、当時の規則に従って二年後に家族を呼び寄せた。彼の奥さんは『台湾青年』を読んで大変興奮し、私と会うと何時も、『台湾青年』の記事について討論した。その事を知った彼女の夫は、『台湾青年』が届くと、すぐごみ箱に捨てた。彼女が『台湾青年』から思想的な影響を受ける事を恐れ、自ら秘密警察に代って、思想の取締役を務めたのだ。夫婦ですら、このような例が見られたのである。 専制独裁体制は、自由な思想を毒蛇か猛獣のように恐れて退治する事に全力を尽くす。そのような社会では、自らファシズムと植民地支配権力の奴隷に成り下がる者も少なくないのである。 |
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