| 『台湾青年』略史 |
| 台湾独立建国連盟 2002年5月14日 |
『台湾青年』1960年4月 創刊号(隔月刊) 台湾人日本留学生の意見交換と情報提供の場として創刊され、政治的色彩は薄かった がすぐに台湾独立の色彩が強まった。 第6号(1961年2月)「二二八事件特集号」は、タブーとされてきた二二八事件を初めて多方面から解明した。第10号(1961年9月、臨時増刊号)「中国人難民問題特集号」は、蒋介石政権を中国からの難民政権と位置づけ、その実態を分析した。 第9号(1961年8月)から『台湾青年』は実質的に月刊誌となり、第11号(1961年10月)から正式に月刊誌となった。この頃すでに、『台湾青年』の台湾独立運動の指導的理論誌としての地位が確立された。 第71号(1966年10月)から『台湾青年』を中文誌に転換。欧米でも留学生によって台湾独立運動が組織、推進されるようになっていたが、彼らの殆どは日文を読めなかったので、独立運動の理論を浸透させるために、中文誌が必要になった。 それまでの『台湾青年』の代わりに、1967年1月に日文の月刊『台湾』を創刊。 第90号(1968年5月)から、『台湾青年』は、日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパの台湾独立運動組織の共同機関誌となった。これは、これらの独立運動組織を統合するための準備であった。 『台湾青年』第111号(1970年2月、日文・中文併用)「台湾独立聯盟成立・彭明敏博士台湾脱出特集号」は、日、米、加、欧、の独立運動組織が統合して台湾独立聯盟が成立した事と彭明敏博士の台湾脱出を公表した。この時から、『台湾青年』は台湾独立聯盟の共同機関誌となり、現在に至っている。 月刊『台湾』は1969年12月号まで出して廃止し、『台湾青年』は第112号(1970年3月)から、隔月に日文版と中文版として発行されたが、台湾独立聯盟米国本部が、中文版機関誌『台独季利』を発行したのにともない、月刊『台湾青年』は第150号(1973年4月)から日文版になった。 1972年に日本と中国が国交を樹立して台湾との国交が断絶した頃から、日本のマスコミは台湾報道をタブー視し、特に台湾の政治情勢は殆ど報道しなくなった。そのために『台湾青年』は、台湾に深い関心を持つ日本人に対して、台湾関係の知識を供給することに重点を置くようになった。その後、『台湾青年』の日本人読者の中から、幾人もの台湾問題専門家が育っている。 1998年12月に産経新聞が中国に支局を設置した後、それまで台湾に支局のなかった日本のマスコミ各社も次々と台湾に支局を開設した。だが長期にわたる台湾との関係断絶のため、日本のマスコミ各社には台湾に関して深い認識をもつ記者が殆どいなかったので、彼らが台湾に関する事を理解するために、『台湾青年』が大きな役割を果たしたものと思われる。しかし、マスコミ各社が台湾に支局を置くようになってから3年たち、現在では台湾に関する理解が深まり、雑誌や単行本を含めて、台湾関係の情報が日本社会にあふれるようになった。 |
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